長谷川敦弥さん(株式会社LITALICO 代表取締役社長)は名古屋大学在学中、ガイアックスで3年間インターンを経験した後、新卒で株式会社LITALICO(りたりこ)に入社、2年目の2009年8月に社長職を引き継ぎ、今年で6年目を迎えます。後編では、長谷川さんがLITALICO入社後に社長を引き継ぎ現在に至るまでのことと、今後のLITALICOが目指す社会について、ご紹介します。(ガイアックスインターン時代について語った前編はこちら)
経営者視点で提案・実行してると1年で社長に
2008年5月、LITALICOの新卒社員として入社した長谷川さんは、まず営業を任されます。ところが実際には、ホームページのリニューアルや不採算事業の撤退、子会社の事業計画立案など、全社の経営に関わる仕事も含めてコミットしていたと言います。
いずれ、自分で独立すると決めていたので、起業までに新規事業をつくりこむ力と、英語力を身につけたいと思い、海外で社会性の高いテーマで新規事業を立ち上げる、と入社時に決めていました。LITALICOの国内の経営に関わりながら、半身くらいはLITALICOの海外展開をするつもりでした。当時ちょうどベトナムの政府関係者から障害者雇用支援の相談があり、ベトナムでどんな事業を創造するか、当時の代表と盛り上がっていました。ところが、入社して仕事を始めてみると、国内の基盤づくりがまだまだ途上の状態なことに気づき、事業内容や経営のやり方を、一つ一つ整備していきました。
ガイアックスでのインターン以上にオーナーシップを持って仕事に取り組んでいた長谷川さん、その仕事のほとんどは上司に任されたのではなく、自分から提案・実行して進めていきました。入社した時から社員という感覚は全くなく、最初から自分が社長のつもりで仕事に取り組んでいたそうです。
長谷川さんにとって、ガイアックスを離れてLITALICOに入社するという決断は、退路を断った感覚があり、LITALICOの事業を通じて社会を変えるしかないと、命がけで仕事をしていた結果だと思う、と話してくれました。そして入社して1年が経った頃、当時の社長から後任の社長になってほしいとオファーを受け、2009年8月に従業員100名のソーシャルベンチャーの代表取締役社長に就任します。
本音を言うと、自分の力でゼロから起業したい気持ちは強かったです。偉大な起業家や革命家の人たちがいちから組織を創業したストーリーをたくさん見てきたので。でも、自分が登る山を考えたとき、どうせ将来は10万人、20万人ぐらいの組織に成長させていく、そういう大きな目標から今をみれば最初の社員0人でも、社員100人からのスタートでもあまり変わらないと思えたんですね。いずれその規模の組織を率いていこうと思ったら、100人くらい24歳で背負えなければならない。そうでなければ世界を変える器もないと思い、LITALICOの代表を引き受けることにしました。
累計3500名の障害者就職をWINGLEが支援
その後、メイン事業の一つである障害者就労支援サービスWINGLEを全国に展開、現在は全国で48の事業所を通じて、年間約800人の就職をマッチングしています。福祉施設の中ではなく、一般企業への就労の移行を促しているのが、WINGLEの特徴です。
「障害者」と一括りになっていますが、彼らの持つ困難をどうすればなくしていけるか考えたところ、彼らの持つ生きづらさは「働く困難」「学ぶ困難」「移動する困難」「コミュニケーションする困難」に分解できる。つまり、障害のない社会をつくるためにはこの一つ一つに分解された困難をなくすことができたらいいのではないか、それでまずは働く困難はなくそうとしたとき、障害者には今確かに働く困難があるんですね。でもこれがなぜかというと、障害のある人が安心して活躍できる企業が社会の側にないから働く困難がある。逆から考えれば社会に彼らが活躍できる企業が当たり前に存在していれば働く困難はなくせる。そう考えて本人たちをエンパワーしながら企業の進化を促進するサービスをつくってきました。LITALICOのビジョンでもある「障害のない社会をつくる」には、”障害は、人ではなく社会の側にある”という価値観があります。障害のある人たちが社会の側に適応するシステムではなく、人が幸せになる社会づくり。多様な人を幸せにできる優しくて力強い社会をつくっていきたいと思っています。
そのようなビジョンのもと、就労支援事業が軌道に乗り始めだしたころ、就労支援をしている中で新たな発見があったそうです。就労支援の顧客の7割は精神疾患の方、いわゆるうつ病などの気分障害や統合失調症を患っている方々。彼らにとって本当の障害とは何か?を見つめ、精神疾患の発症の経緯を一人ひとりインタビューしたところ、3~4割ぐらいの方は幼少期の失敗体験に原因があることがわかったそうです。
教育によってなくせる障害がある
幼少期の頃のいじめや虐待を通じて、精神疾患を発症したというエピソードをたくさん聞き、彼らにとっての本当の障害は、個性の強い彼らに合致した学校教育や家庭教育がなかったことが問題だったという仮説を立てます。そうした考えの元、現在は学習支援サービスLeaf、IT×ものづくり教室Qremoを展開しています。
Leafでは、幼児から高校生までの子どもたちにオーダーメイドの学習機会の提供をおこなっています。自閉症や精神障害、ADHDの子どもたちは個性が顕著で、それぞれの認知に特性があります。一度にたくさんの文字情報を見ると混乱してしまって理解しにくいが、少ない量であればきちんと思考できる子どもや、耳で聞く情報のほうが処理しやすい子どもに合わせて、各教室の講師が指導計画と教材をつくっています。子どもは全員成功できる。子どもを失敗させる先生と成功させる先生がいるだけというのがLeafの考え方。事業開始から4年弱、約50の拠点に通う生徒数は7500人。幼児教室の待機児童だけで、1000人にのぼり、新しい教室をつくると初月から満員になってしまうくらいニーズがあるそうです。
学校に適応できなくても情熱を燃やせるテーマがあれば強く生きていける
一方、子どもたちの強みを伸ばして、好きなことをとことん突き詰めるのが、IT×ものづくり教室Qremoです。プログラミングや3Dプリンターなど最先端の技術を使って、ものづくりに熱中しながら創造性を育んでいます。
学校の勉強は苦手な子どもも、Qremoでは圧倒的な力をのびのび発揮できる場をつくりたいんです。「記憶力」や「協調性」が評価される今の学校教育では活躍できないけれど、「創造性」や「興味関心への集中力」「こだわり力」が評価されるQremoならヒーローになれる。子どものときから、これだけは得意だ、これだけは好きだというものが1つあるだけで強く生きていけると思います。実際社会では学校の評価軸では見出されることのなかった才能を発揮している人が多くいます。こんなにも多様な活躍の仕方があるんだということを私もガイアックスに入社してから知りました。
今、LeafやQremoに来ている子どもたちの保護者の中には、学校に適応できないから社会でもだめかもしれないと心配していることがあります。でも実際はそんなことない。一つでも興味や情熱を燃やせるテーマがあれば、そこからどれだけでも学ぶことができるし、その子にあった活躍の道が必ずあります。そういう道を見出すお手伝いをしたいと思っています。
Qremoは現在首都圏に2店舗、約600人の生徒が通い、毎月の問い合わせも絶えないほど人気があります。プログラミング言語を駆使してアプリをつくる子ども、プレゼンテーションの内容を自分で考えて作成できる子どもなど、大人も驚いてしまうほど創造性に富んでいるそう。その様子を見て、子どもの心に火をつけることが、教育の何より大事なことだと確信したと言います。
困っている人たちを助ける強い組織をつくる
ビジネスとして成立させることを考えると、LITALICOの事業はコストやリスクが高いためか、大きな競合他社は今のところ不在とのこと。その分野で長谷川さんが、そしてLITALICOが第一線で取り組むモチベーションの源泉はどこから生まれるのでしょう。
LITALICOの事業を通じて、僕たちにしか起こせないイノベーションは何なのかを突き詰めたいなという気持ちがあります。僕自身が一番情熱を燃やせるのは、本当に困って助けを必要としている人たちに対してまっすぐ、事業をやっているときです。自分の命を全部ぶつけてもいいと思えるほどに。
今の社会をみると、困っている人たちを助ける組織が増えてきています。それはとても嬉しいことですが、根本的に社会問題を解決し、多くの人を幸せにしようと思ったら、もっと大きく、強い組織にしないといけないと僕は思っています。難しいことに立ち向かっているからこそ一番のビジネスの力や技術の力をもっていきたい。世界の中で優先順位が高い問題にもっと優秀な人たちが集まり、人類の叡智を総動員していく。そういう流れをリードすることで、すべての人が幸せになれる社会づくりに貢献したいと思っています。
「障害のない社会をつくる」。目指しているビジョンと事業の内実が一貫性を帯びることによって、解決に向かうパワーが増幅していることを、日々実感しています。
2014年6月、ウイングルからLITALICOに社名変更したことも、一貫性のある経営のひとつに見えます。”利他”と”利己”を組み合わせた社名には、「世界を変え(利他)」「社員を幸せに(利己)」その両方を実現する意思を込めています。
自らその姿勢を体現する長谷川さん、課題に対してまっすぐに向かいたい、と話す言葉からは、力強いエネルギーを感じました。長谷川さんご協力ありがとうございました!(インタビュー:コーポレートカルチャー室 佐別当/記:たつみまりこ)