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“キーレス社会”を実現する|70億円調達、会社を率いた6年半 ー 株式会社Photosynth代表取締役社長 河瀬航大

最終更新: 2021年11月18日

これまでガイアックスは多くの起業家を輩出してきており、現在ではその組織自体がスタートアップスタジオとして機能しています。起業を企てる起業家やその候補者が入社や投資を受けるために集まっており、また、それらの起業をサポートできるプロフェッショナルも多数、在籍しています。

過去にもガイアックス出身の起業家は、Appbank株式会社やピクスタ株式会社、アディッシュ株式会社などをつくり、資金調達を経て上場を経験しています。

今回は、これから上場するであろう企業を牽引する、そしてガイアックススタートアップスタジオができるきっかけともなったガイアックス出身の起業家をご紹介します。

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今回インタビューした株式会社 Photosynth(フォトシンス)代表取締役社長の河瀬航大(かわせ こうだい)さん。

河瀬さんも、ガイアックスから巣立った起業家の一人です。新卒でガイアックスに入社し、3年目には24歳にしてネット選挙の事業責任者として事業を牽引しました。そして仲間と開発したスマートロックシステム「Akerun(アケルン)」が注目を集めたことをきっかけに株式会社 Photosynthを創業。そして、このAkerunは都内7.4%が導入するスマートロックとなり、2021年7月現在 フォトシンスの累計調達額は約70億円にものぼります。
本インタビューでは、創業から6年半が経つフォトシンスが辿ってきた道のりや、普段あまり語られることのない苦労や葛藤についてもお聞きしました。

前編のブログはこちら:「都内7.4%が導入するスマートロックを生んだ男|起業までの道のり

Kodai-Kawase

河瀬 航大

株式会社Photosynth・代表取締役社長

1988年、鹿児島生まれ。2011年、筑波大学理工学群卒業後、株式会社ガイアックスに入社。ソーシャルメディアの分析・マーケティングを行う。2013年にはネット選挙の事業責任者として、多数のTV出演・講演活動を行う。「facebook 知りたいことがズバッとわかる本(翔泳社)」執筆。2014年、株式会社フォトシンスを創業、代表取締役社長に就任し、スマートロックAkerunを主軸としたIoT事業を手掛ける。経産省が所管するNEDO公認SUI第1号をはじめ、これまでに累計50億円を調達するなど、IoTベンチャーの経営を担う注目の若手起業家。Forbes主催、Forbes 30 Under 30 Asia 2017にて、アジアを代表する人材として「ConsumerTechnology」部門で選出。筑波大学非常勤講師。

「起業しようとは思っていなかった」趣味で始めたAkerunが大きな反響を呼ぶ

「この仲間なら作れるかも」Akerunは数あるプロジェクトの中の1つだった

ー 河瀬さんはガイアックスに在籍しながらAkerunを開発されたんですか?

河瀬 そうですね。社会人3年目の2013年夏はネット選挙のことで駆け抜け、2014年の1〜2月あたりから、4年目に何をするか考え始めていました。
その頃に土日の空き時間にも何かをしたいと思い始め、仲間と一緒に趣味的に5〜10個くらいのプロジェクトを立ち上げました。ガイアックスの同期と協力して音楽系のスマホのアプリを作ってみたり、笑いのネタを集めたキュレーションサイトを作ってみたり。他にも、就活の合同説明会のパッケージ版を作って色々な会社に営業して、実際に説明会を開催したり、NPOの理事をやったこともあります。
ある時、普段から仲のいい4人で渋谷で飲んでいた時に、「鍵を持ち歩くのが面倒」「スマホが鍵になればかっこいいよね」という話で盛り上がって。4人のメンバーの内、僕は事業の立ち上げ方をなんとなくわかっていましたし、パナソニックで携帯のメカ機構を作っていた熊谷君はハードウェアはなんとなく作れるし、ソフトバンクで働いていた渡邉君は通信に詳しい。エンジニアとしてアプリが作れる仲間もいたので、僕らが協力すれば自分たちの思い描く新しい鍵が作れるかもしれないと思ったんです。
最初はAkerunで起業しよう、量産しようというイメージはなく、色々とやっているプロジェクトの中の1つという感覚でした。

たまたま取り上げてもらった日本経済新聞の記事がバズり、1ヶ月でのスピード創業

ー 趣味的に仲間内で始めたプロジェクトだったのですね。そこからどのような経緯で会社を設立することになったのでしょうか?

河瀬 2014年の8月にたまたま日本経済新聞でAkerunのプロジェクトを取り上げていただきました。掲載されたのは日曜日でしたが、その日のNewsPicksの1位になって…。記事を見た方から「出資したい」「買いたい」という多くの問い合わせをいただき、あたふたと対応しながらも、「こんなにお問い合わせが来るのなら量産したい」と思うようになりました。でも当時はクラウドファンディングもあまりメジャーではなく、3Dプリンターで作ったものを渡そうかと話していて。そして翌日の月曜日、会議の後に上田さん(ガイアックス代表執行役)に呼び出されて「この記事って河瀬か?」と聞かれました。当時はまだ正式に副業が認められていたわけではなかったので、ちょっとヒヤヒヤしましたが、上田さんの方から「やりたいならやったらいいんじゃない?必要なら出資もするし」と言っていただいて。2,000万円という出資は当時の僕からすると大金で、背中を押してもらった感じですね。
創業メンバー6人の内、3人はガイアックスの同期なんですよね。本間君と齋藤君というエンジニアの2人は、記事がバズってから1週間でガイアックスでの仕事を引き継ぎ、僕自身も約1ヶ月で引き継いで、Akerunに専念させてもらいました。

ー 意図せず、一気に本格始動した感じだったんですね。

河瀬 8月に記事がバズってから9月に創業したので、すごいスピードですよね。
最初の4ヶ月間はガイアックスが開発ラボとして使っていたマンションの一室を占領させていただき、そこで寝泊まりしながら仕事をして。2015年の1月にはガイアックスのグループ会社のSGW(ソーシャルグループウェア)が入っていたビルの3階に入らせてもらいました。その他にも法務や労務も全てガイアックスにお願いさせていただいたので、本当におんぶに抱っこでの創業したね。

ー そうやってパワフルに巣立つ人がたくさんいる歴史があったからこそ、ガイアックスのスタートアップスタジオが誕生していったのですね。

河瀬航大

創業から6年半。事業と仲間を通じて少しずつ「社長」にさせてもらった

事業を伸ばすためには「仲良しこよし」ではいられない時期もあった

ー 社長として会社を率いて6年半、どのような道のりを歩んできていますか?

河瀬 6年半経って、ようやく「社長」と言われても振り向けるようにはなりましたね(笑)。それまではサークルのリーダーのように、ノリと勢いだけでやっていける時期も数年間はありましたし、むしろ最初はその空気感が大事なこともありました。そこから事業を統制していく力や、時には数字でドライに判断することが必要になる場面が出てきて。事業を大きくしていくためには「仲良しこよし」ではなくなるタイミングも大事で、その切り替えに4~5年程かかりましたね。5年目でガイアックスの同期の本間君が抜けて、他の創業メンバーも1人抜けて。その辺りのタイミングは大きな転機になりました。それまでは僕がPMのような役割で、みんなの意見の合意を取りながら物事を決めていくというやり方で成功していたので、大きく変える必要も感じていませんでした。でも、事業を大きくしていくにはどこかのタイミングでトップダウンの組織作りが必要になるのだと思います。

「このままでは会社が潰れる」危機感や不安を共有し、会社の空気が変わり始める

ー PMのような役割だったところから、どのようにご自身のスタンスを変容させていきましたか?

河瀬 商品やコンセプトやチームがよければ、シリーズA(*1)くらいまではいけるんです。売上がついていなくても今の時代ならノリで10~20億円くらいは調達できます。しかしシリーズB(*2)からは実績で見られるので、売上がついていないと資金が得られません。シリーズC(*3)までいくと、もはやトップライン(売上高・営業収益)が全て。
「売上がいい=プロダクトや市場がいい」という見られ方をするので、足元の数字を固めていく必要がありましたし、そうしないと会社が潰れると思ったのがシリーズAを少し過ぎた頃ですね。
(*1)事業が本格的に動き始めて、サービスや商品などの認知度が上がり、顧客が増え始める成長ステージ。
(*2)経営が軌道に乗って安定化し、収益がどんどん伸びてくる時期。
(*3)スタートアップ企業の成長最終段階を迎え、黒字経営で、会社が安定し、IPO(上場)やM&Aを意識する時期。
河瀬 僕らはまず家庭向けの「Akerun Smart Lock Robot」を出して、そこからピボットしてオフィス向けのスマートロック「Akerun入退室管理システム(Akerun Pro)」を出しました。そこまでで4.5億円を調達していましたが、「Akerun Pro」を開発した直後にキャッシュが切れそうになりました。資金を得るために投資家の方に「これは絶対いけます」とプレゼンしましたが、「売上がないじゃん」と。それまでは商品がよければ投資をしてくれましたが、実績を見られる段階に入ったわけです。ビジネスでお金を稼いでいるということは、お客様に価値を提供しているということ。それが数字として可視化されている状態を作る必要がありました。それまでは「若手技術者集団のフォトシンス」と言われていましたが、それも切り替えていかなければいけない。
また、ハードウェアを扱っている会社なのでメーカーから人を採用して連れてきているのですが、彼らは一度辞めてしまうと再び元の船に乗ることが簡単ではないわけです。絶対に逃げられない状況で、僕のプライド的にも退くという選択肢はありませんでした。勝てば官軍と言いますが、何でもやりましたね。
このままでは2ヶ月程で資金が切れて会社が潰れてしまうという状態だったので、メンバーと合宿をして話をして、そこから会社が変わり始めました。合宿からオフィスに帰ってきてまずやったことは、オフィスの電球を半分に減らすこと。また、普通はエンジニアはずっとパソコンを触っていますが、どうしたら売れるかを考えてポスティングをしてくれたり。
当時20名程いたメンバー達が協力してくれたおかげで、約3ヶ月間で「Akerun Pro」が売れて、その実績を見て2~3億円の出資が決まりました。

河瀬航大

キーレス社会に向けて。強いチームで壁を突破していく

「あとはやるだけです」強い組織を作りビジョンを体現していく

ー 今後についてはどのようなビジョンを描いていますか?

河瀬 フォトシンスは、ありがたいことにプロダクトとマーケットがフィットしている商品を見つけることができています。せっかく作ったからには徹底的に広げていきたいと思っていて、Akerun事業においては、1つのIDで全ての扉を開けることができる「キーレス社会」を実現していきたいと考えています。そのためには、まず全国で400万社と言われる法人に当たり前のように使っていただかないと話になりません。現在は累計で約5,000社の企業やコワーキングスペースやシェアオフィスで使っていただいており、東京都のオフィスワーカーの内、7.4%の人がAkerunを日常的に使っていることになります。この調子で5年後くらいには「オフィスの鍵はAkerunで開けるよね」というのが共通言語になっている状態にしたいですね。
「キーレス社会」を実現するためには、ビジョンから逆算するととんでもない成長率にならないと、辿り着くのに何百年もかかってしまいます。毎年達成しないといけない壁も高くなるので、痛みを分かち合えるような強いチームを作り、どれだけ強い組織を作っていけるかが今の僕の最大の関心事です。高い壁を突破するためには地頭も必要ですし、交渉力や色んな人を巻き込む力も必要になります。手段に捕らわれずにビジョンに向けて実行することができて、課題を乗り越えてくれるような戦闘力の高い人がいてくれると心強いですね。
これまではトップダウンで引っ張っていくこともありましたが、これからは課題だけを伝えて遂行してもらえるようなチーム作りに力を入れていきます。自分一人では壁を突破しきれませんが、それぞれが10ずつ壁を突破すれば、チーム全体で100突破できることになりますからね。あとはもうやるだけです。

興味のあることを何でもいいからやってみる。結果的に自分の道ができていく

ー 河瀬さんは全身全霊で仕事をして、楽しみながらどんどんステップアップされている印象があって、そういうキャリアを歩みたいと思っている人も多いと思います。

河瀬 興味のある領域に関して、何でもいいからやってみることがとても大事だと思います。僕が色々なことを推進できているのも、様々なことを手広くやってみて、興味のあるものに気付けたからです。やってみることで新しい世界が見えて、さらに「やってみたい」と思うものが出てくるはず。自分が今やっていること以外のことにも挑戦することで、自分が本当の意味で没頭できたり、高めていきたいと思えるものが少しずつ見えてきます。それを繰り返すことで結果的に自分の道を作っていけると思うので、若い時は「時間は無限にある」という感覚の中で、興味のあることに突き進んで挑戦してほしいと思いますね。

ー 壁を越え続ける姿に勇気をいただきました。ありがとうございました!

インタビュー:荒井智子
ライティング:黒岩麻衣

<関連ブログ>

編集後記

河瀬さんはとてもエネルギッシュな方で、お話を聞いているだけでも「何かやりたい」とウズウズしてくるのを感じました。「結果的に自分の道ができる」の言葉に励まされました!

このインタビュー記事の動画も是非ご覧ください


Vision Notes Episode 5 – フォトシンス 代表取締役社長 河瀬 航大
『副業で起業した男が、東京のオフィス7.4%が導入するスマートロックをつくるまで』


投資先経営者
1. 「やりたいことがなかった」私が、上場ベンチャーの女性役員になるまでのファーストキャリア – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
2. 悩んで、向き合い続けたからこそ切り開けた、上場ベンチャーの女性役員というキャリア – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
3. 上場を経験したからこそできる、「身近な社外の女性役員」という役割 – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
4. 研究者の道を捨てた僕は、カオス真っ只中のベンチャーで自分の道を切り拓いてきた – アディッシュ株式会社代表取締役 江戸浩樹
5. 「関係の質が成果の質を生む」仕事は人生の大事な一部だから、人と向き合い、チームを大切にする – アディッシュ株式会社代表取締役 江戸浩樹
6. 27歳にして上場ITベンチャー企業の取締役になった人の「新人時代」とは? – アディッシュ株式会社取締役 松田光希
7. 27歳で取締役としてベンチャー企業の上場を経験して見えた景色 – アディッシュ株式会社取締役 松田光希
8. 情熱が成長曲線を左右する。意図を持つことで働き方は変わる – 株式会社Tokyo Otaku Mode 代表取締役社長 小高 奈皇光
9. 人間は、人間らしく働こう。 情熱を持って“自分の”ど真ん中を走り続ける – 株式会社Tokyo Otaku Mode 代表取締役社長 小高 奈皇光
10. 都内7.4%が導入するスマートロックを生んだ男|起業までの道のり ー 株式会社Photosynth代表取締役社長 河瀬航大
11. “キーレス社会”を実現する|70億円調達、会社を率いた6年半 ー 株式会社Photosynth代表取締役社長 河瀬航大
12. 会社づくりもデザインの一環、漫画家の道から起業家へ – 株式会社TRUSTDOCK 代表取締役 千葉孝浩
13. 全力の挫折経験が直感力を磨き、TRUSTDOCKという勝負への道を切り拓いた – 株式会社TRUSTDOCK 代表取締役 千葉孝浩
14. 新時代の価値を生み出す人は20代に何をしていたか ー 株式会社アドレス代表取締役社長 佐別当隆志
15. 定額住み放題サービスADDressが切り拓く、これまでの延長線上“じゃない”未来 ー 株式会社アドレス代表取締役社長 佐別当隆志
河瀬 航大
1988年、鹿児島生まれ。2011年、筑波大学理工学群卒業後、株式会社ガイアックスに入社。ソーシャルメディアの分析・マーケティングを行う。2013年にはネット選挙の事業責任者として、多数のTV出演・講演活動を行う。「facebook 知りたいことがズバッとわかる本(翔泳社)」執筆。2014年、株式会社フォトシンスを創業、代表取締役社長に就任し、スマートロックAkerunを主軸としたIoT事業を手掛ける。経産省が所管するNEDO公認SUI第1号をはじめ、これまでに累計50億円を調達するなど、IoTベンチャーの経営を担う注目の若手起業家。Forbes主催、Forbes 30 Under 30 Asia 2017にて、アジアを代表する人材として「ConsumerTechnology」部門で選出。筑波大学非常勤講師。
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