メンタルが整っていると、仕事で新しいアイディアが浮かんだり、挑戦する気持ちが湧いてきたり、より高いパフォーマンスを発揮できることにも繋がるのではないでしょうか。仕事だけでなく、人生全体が豊かになっていくかもしれません。
しかし日々の仕事に没頭するあまり、心や体が発するアラートにも気づかない…そんな人も少なくないのでは?
困難なことがあっても、状況に合わせて柔軟に立ち直る「しなやかな強さ」をレジリエンスと呼びます。変化やストレスの多い現代社会にうまく適応し、精神の健康を保ち、どのように回復しているのか?
ガイアックスでは、リーダー達のレジリエンスをシリーズでご紹介します。
今回お話を伺ったのは、GRiD事業部部長の野口佳絵(のぐち かえ)さん。
野口さんはアパレル業界からガイアックスへ転職し、シェアリングエコノミー協会の立ち上げやNagatacho GRiDの立ち上げなど、幾度となくカオスな状況をくぐり抜けてきています。
以前はかなり厳しくメンバーをマネジメントしていたという野口さんですが、様々な経験をする中で、自身のマネジメントスタイルは徐々に強く・しなやかな姿勢へと変化していったそうです。
インタビューでは、野口さんの仕事観やマネジメントスタイルの変遷についてお聞きしました。
野口 佳絵
GRiD事業部事業責任者・株式会社WECOOK Japan取締役
桑沢デザイン研究所を卒業後、アパレルへ就職。業務の一環としてウェブサイトやECの立ち上げを独学で行ったことをきっかけに、インターネットの可能性に惹かれ、ガイアックスへ。現在は、Nagatacho GRiDの事業部長を兼任しながら、株式会社WECOOK Japanにて取締役に就く。
強さを身につけてきたのは、自立して自由を手にする
幼少期から持ち続けていた「強くありたい」という思い
ー 野口さんが仕事をする上で、土台となっている思いや考えはありますか?
野口:「強くあること」「自立すること」は意識していたかもしれません。私の両親は自営業で忙しく、「迷惑をかけてはいけない」という思いを小さな頃から持っていました。また、私の母は女性が独立していることが健全だと思っている人で、自分で自分の人生をグリップできていた方が生き方の選択肢が増えるから、自由でいるためには自立をしろということを母から刷り込まれていました。
祖父からは「稼ぐ男のところにお嫁に行きなさい」と言われることがありましたが、それに対して私は「自分で稼ぐ」と言っていましたね。子供の頃から、養われるのが嫌だということは繰り返し言っていました。
自由でいるために「自立すること」、「強くあること」は現在もベースにあり意識しています。
転職を機に、水を得た魚のように仕事にのめり込む
ー 野口さんは今までどのような仕事を経験されてきましたか?
〜野口さんのお仕事遍歴〜
- 1999~2004年 アパレル
- 2004~2009年 ガイアックス第1期(受託制作、新規事業立ち上げ)
- 2009~2014年 Web制作プロダクション
- 2014~ ガイアックス第2期(シェアリングエコノミー協会・GRiDの立ち上げ)
野口:最初はアパレル業界に就職したのですが、そのあとはずっとITベンチャーで仕事をしてきています。アパレル業界では今でこそ多様性を大切にする姿勢が出てきていると思いますが、当時は真逆の世界観だったと感じていました。上下関係も厳しく、容姿や所有している物の多さなどが、生きやすさに直結しているという感じです。その閉鎖的な空気に馴染めず、私のいる場所はここではないと思っていました。
その後インターネットに出会い、可能性を感じてIT企業(ガイアックス)に転職しました。アパレル業界で感じていた閉鎖的な空気から一変して、上も下もない「フリー・フラット・オープン」な空気に変わり、それが自分に合っていたのだと思います。何もないところから新しいものが生まれて、何かが化学反応を起こすような経験が衝撃的で、どんどん仕事にめり込んでいきました。そこからずっと私にとって仕事は楽しくて、面白いものですね。
現在も同時進行でいくつかのプロジェクトに携わっているのですが、それは色々な自分を見てみたいという気持ちがあるからかなと思います。どのプロジェクトも異なる立場で入っていて、例えばGRiDでは事業責任者をしていますが、他のところでは1プレイヤーとして入っていたり。上位権限がある立場から1個も権限のない立場まで、振り幅を持たせたいのかもしれないですね。色々なコミュニティに所属することで刺激的な人に出会い、様々な人の考え方に触れながら仕事をするのは楽しいです。
心は辛さを感じないが、体には不調が出ていた時期もあった
ー ガイアックスでの野口さんといえば、大赤字のブログ事業を単年黒字化、Nagatcho GRiDの黒字化、一般社団法人設立や3000人規模のシェアエコイベントの企画運営など繰り返し一番カオスな立ち上げ期に入って収益化をして…と、ハードな局面に何度も立っていますよね。
野口:私自身はあまりハードなことをストレスとして感じないんです。大変なことがあっても、山に登ると違う景色が見えると思っているし、見たくなってしまう。一種の病なんだと思います(笑)。そして以前は、他のメンバーに対しても「私と同じように山を登ろう!」というスタンスでいました。
例えば寝ていないとか、クライアントから圧力をかけられるとか、プレッシャーに対する耐性がかなり高くて、負荷が大きいほどアドレナリンが出てしまうんです。以前Web制作会社にいた時、とある鬼門のプロジェクトに携わったことがあります。とても小さな会社がいきなり億規模の案件を受けてしまったのでかなりのプレッシャーがあり、プロジェクトマネージャーが2人潰れてしまったり、私自身も8時間の定例会議の後に吐いてしまったり、一番まずい時はストレスで片目が見えなくなってしまうこともありました。でも、感情としては全く辛さを感じないんです。そして休んで回復してきたら、また登りたくなるんですよね。
それに、ガイアックスに転職してきた頃の私はIT企業で飛び交う用語もわからない状態でしたし、カオスな仕事こそIT業界で「そういうものだ」と捉えていたかもしれません。
「正しさ」を手放して、しなやかなマネジメントスタイルへ
かつては厳しいマネジメントスタイルに定評があった
ー マネージャーとしてのキャリアはいつから始まったのでしょうか?
野口:ガイアックスに入った20代後半から私のマネージャー人生が始まりました。
最初はかなりスパルタなスタイルでしたよ。納期と成果をひたすら追っていたので、誰から強いられたわけでもなく、迷いもなくそのスタイルをしていました。しかも、その頃は私の厳しいスタイルが社内で好評だったんです(笑)。指導されるためにインターン生が私の元に来るということもありました。
当時の私は、厳しくマネジメントすることが相手のためだと思っていたんです。今思うと押し付けがましい考え方ですが、プロジェクト1つでその人の人生を変えることになると本気で信じていました。それに、当時はマネージャーはそういうものだと思っていたんですよね。ガイアックスを一度離れるまでは厳しいマネジメントスタイルのまま走り抜け、その後にWeb制作プロダクションへ転職しました。
消耗するマネジメントスタイルから「許容するスタイル」への移行
ー その後、厳しいマネジメントスタイルはどのように変化していきましたか?
野口:Web制作プロダクションにいた時は役員もしていて、その時に会社を畳まなければならない経験もしました。大きなリストラや調整を経験し、自分が正しいと信じてやっていても、それだけではうまくいかないことがあるのだと学びました。
壁にぶち当たった経験を通して、仕事をして同じものを納めてもらうなら怒らない方がお互いに気持ちいいですし、感謝し合いながらの方がいいよね、と思うようになりました。怒りはパワフルですが、消耗しますからね。
もう1つ、結婚したことも大きな転機になりました。
今の配偶者と出会う前の私は人のずるさや嘘が許せず、物事を白黒はっきりさせたいタイプでした。かつ上司としての経歴が長い私は、自分が正しいという気持ちが強かったんです。でも自宅に帰って配偶者にその日の出来事を話すと、コテンパンにやられるわけです。「それは悩みじゃなくて、ただの自分の傲慢さだ」「そんな物差しは早く捨ててしまえ」と(笑)。そういうことを言ってくれる人が側にいたことは、グレーなことを許せるようになった要因として大きいです。結婚や出産を通して、人間が生きていく上ではグレーなことも重要なのだと知りました。余白や曖昧さの中に人生の彩りがあるんじゃないか、ということを学んだんです。配偶者はパートナーでもあり、親友でもあり、上司でもあり。人として尊敬していますし、とても感謝しています。
そこから私の厳しいマネジメントスタイルは「何かあったら拾うので大丈夫です」という許容スタイルになりました。人それぞれの思考プロセスも違うし、コミュニケーションの取り方も違う。私と同じようにすることは求めなくなり、相手の意思を尊重するようになりました。もしかしたら以前は、メンバーのことを制作マシーンだと思っていたのかもしれません。そして、私が変わり始めた頃にガイアックスと再びご縁が繋がり、戻ってきました。
戻ってきたときには、以前のような厳しいマネジメントスタイルを期待されていたんですよ(笑)。でもガイアックスを離れている5年間で自分自身が変わったことと、当時は妊活をして仕事をアイドリングしていたこともあり、もう以前のようなスタイルはできなくなっていました。
お互いに自立することでパフォーマンスも向上する
ー 許容するマネジメントスタイルに移行して、何か変化はありましたか?
野口:怒りや負の感情に支配されて生活するのはかなり消耗するので、それがないと全然違いますね。怒るということは、親分になってしまっているということだと思うんです。でも主従関係ではなく、それぞれが責任のある役割を持っていると捉えた方がお互いが心地いいですよね。今はいい意味で人には期待していませんし、その方がお互いに自立できると感じています。
ー 厳しい親分スタイルの時は、ご自身の仕事のパフォーマンスにも影響がありましたか?
野口:ありましたね。あの頃はかなり怒りやすくなっていて、カーッとした時は言いたいことをメールに書き連ねて、一旦寝るんです。そして翌日に見て「正気の沙汰ではないぞ」と気づいて削除する…そういうことを度々していましたが、今ではカーッとすること自体がなくなりました。
上司ってそんなに感謝されることがないんですよね。でも時間が経ってから「あの時のことを感謝しています」と言われたりもする。感謝してほしいわけではないですし、嫌われたままでもいいと思っていていますが、これは母心なのかもしれません。もともと私は割と尽くすタイプで、見返りも求めていないんです。実家が自営で観光業をしていて、昔から「損して得取れ」という教えがありました。いい時も悪い時も自営業を近くで見てきたので、自分達のしたことが別の形で巡り巡って来るような出来事も見てきました。だから私にとっては直接的な利益というよりも、仕事の意義や生活に変容をもたらすことにやりがいを感じているのだと思います。
潰れるまでやりきったからこそ見える景色もある
私が言えるのは「しがみつけ」ということだけ
ー もしも、もう一度社会人1年目からやり直すとしたら、何か変えたいことはありますか?
野口:本当にいい経験をさせてもらったと思っているので後悔はありません。もし新卒から仕事人生をやり直すとしても、同じ道を通ります。
濃いプロジェクトで一緒に仕事をした人とは今でも繋がっていて、何かあったときには相談させていただいたりしていますし、「あの頃はなんだかんだ楽しかった」と言っていただくこともあり、やってきてよかったなと思っています。
ー 最後に、若手社会人に向けたメッセージをお願いします。
野口:「どんなことがあっても手放すな」ですね。今回は私自身が手放してきた経験をお話してきましたが、手放さずにやりきったからこそ、その経験を通して学んだことがあるんです。何も学ばない内に手放してしまうと、何も残らないかもしれません。だから、私からは「苦しくても必死にしがみついてもらいたい」ということしか言えません。全員が同じスタイルである必要はないと思っていますが、頑張っている人にはとことんやってみてほしいですね。
ー 力強いメッセージをありがとうございました!
インタビュー:荒井智子
ライティング:黒岩麻衣
編集後記
野口さんはこれまでに歩んできた道のりを振り返り、「もう一度通りたいくらい」とお話しされていました。「手放すな」とは、歩んできたプロセスに後悔がないからこそ言えることなのですね。