Gaiaxは、フリー・フラット・オープンの精神を大切にしています。
そして、そこには様々なライフスタイルを持ち、さまざまなことをしている人々がいます。石川潤さんは、adishや複数にわたる現在上場している企業の海外事業・会社の立ち上げに関わってこられた方です。
「お金を稼ぐために生きる」ということに疑問を持ち、「幸せに生きること」を追求するため、現在島根県の隠岐諸島である海士町にお子さんとパートナーのさやかさんとお住まいです。
ガイアックスの事業に関わり合いながら、潤さんが求める幸せのあり方を日記のようにブログ公開している「石川潤の幸せな生き方へのフォーカス旅日記シリーズ」、ご覧ください!
※本シリーズの前回のブログはこちらからご覧いただけます
自分の幸せのために始めた「やさしい生活づくり」に対して、いつの間にか“やらなければいけない”という感覚が芽生え、イライラが募っていた6月。そこで7月は、1ヵ月間の休暇をとりました。しかし8月、その休暇が明け、起こったことを振り返って整理をし、さぁやるぞ!と再スタートを切った矢先、また同じようにイライラすることに・・・。一体なぜだろうか、日々悶々としていることを、今回はインタビューで聞いてもらいました。
自然の循環の中で生きるって、ただ苦しいだけなんじゃないか
香庄:今日は、9月から開始する、“(仮名)空き家での自然循環プロジェクト”についての話を聞くということでしたね。
潤:そのつもりだったんですが、その前に、実は、またゴールに苦しめられている感じなっている気がしていて・・・
香庄:そうなんですか!?
潤:はい。先日家族でご飯を食べながら、さやか(妻)にも「ちょっと最近ストレスをかかえてて・・・」って話をしました。さやかからは、基本的にゴールの置き方が適切じゃないんじゃないかって言われました。
香庄:さやかさんはそう言うでしょうね。休暇明けに3人で振り返りをしたばかりなので。
潤:空き家でのプロジェクトは、何もない状態からスタートして、どこまで自然の循環を意識した生活が可能なのかを試すというものでした。ですので、最初が大変なのは仕方がないとは思ってたんですけど、どうも二の足を踏んでいる僕がいて、それを準備しているとイライラしてしまって、また悠(娘)に八つ当たりしてしまったりで。
香庄:前回のブログに書いていることと同じですね。
潤:そうですね。ただゴールについてだけ言えば、ゴールばかりを優先してしまって苦しくならないように、散歩をするとか、ゆっくり本を読むとか、そんな余白の時間をゴールの中に組み込みば、それはそれで何とかなりそうなんですが、今回少し違うのは、そもそも正直なところ、自然の循環にのるということを達成して、僕は幸せなんだろうか、それをやるってただ苦しいだけなんじゃないかってと思う自分がいて・・・。
香庄:それはこれまでのゴールの話よりも深い話ですね。
友人たちにも相談してみました。そこで「楽しさ」って薄っぺらいと馬鹿にしていたことにも気付きました。
潤:ですので、今回は友人にも相談してみたんです。
香庄:それは初めてですね。どうでしたか?
潤:色々な視点や問いがもらえたと思っています。いくつか印象に残っているものを挙げてみると、
- 生活を変えていくのは大変だが、その結果、何を求めているのか。
- 一体、どの部分でストレスがかかっているのか。
- 今やろうとしていることは自分のためなのか、他人のためなのか、ワールドのためなのか。
- 楽しいや、ワクワクすることが必要なんじゃないのか。
- 一人でやらない方がいいんじゃないのか。
などです。
香庄:これらの視点や問いをもらって気づいたことは何ですか?
潤:この中で、特に1つ目の問いが響きました。というのも、6月に受けた「Search Inside Yourself」のオンラインプログラムで、「理想がすべて上手くいったとして、自分はどんな状態になりたいのか」というジャーナリングをやったんですが、それと答えが一緒だったんですね。それが「おだやかに、ゴールを持たずに生きていく」です。
香庄:「ゴールを持たずに」というのは、これまでゴールを大事にしてきたことと真逆になりますね。
潤:目的は達成するためにはゴールは大事なのですが、もし、おだやかで自分がいいと思う生活スタイルが実現されていれば、基本的にゴールは必要ないかもと。そして、この「おだやか」というのが結構大事なので、今のように追われている状態に対してイライラしてしまうのだと思います。
香庄:この「ゴールを持たずに」は、そういう意味なんですね。
潤:はい。次の“どの部分がストレスなのか”については、ゴールが概念的には見えているけれど、具体的に明確ではないところなんだと思います。だからクリアでないゴールは達成もできないし、進んだかどうかもわからないし、イライラするだろうなあって。これまで、達成したい状態、ゴールは明確にしろって、みんなに言ってきたのに、自分ができてなかったです。
なので、結果として、自分が幸せになっているというイメージが持てていないんだろうなあと思うんです。ぼんやりと思っているだけだから、元気なときは明るくて幸せなイメージが持てるけれど、ストレスがかかっているときは、本当にそうなのかと迷いが生じてくる。
香庄:潤さんにとって、具体的であることは大事なんですね。
潤:“自分のためか、他人のためか、ワールドのためか”ということについては、僕は、やっぱり一番は自分自身のためなんじゃないかなあと思います。なぜなら、自分が生活スタイルを変えようとしているのは、自分が幸せな状態になるためだからです。
発端は「自然環境を無駄使いをしている自分」という自分自身のストレス源から逃れることでした。そのストレスが心に蓄積されていたこともあり、自分が意義があると思うことに時間を使おうと考え、それを定義していた時に「自然にやさしい」という要素が入ってきたんです。これは、自分の幸せにとって欠かせない要素の一つだと思ってます。ただ、その生活スタイルが、他人のためやワールドためでないと、意義があるとは思えないので、自分のためが7、8割だとすると、2、3割は他人やワールドのためが含まれいる感じですね。
香庄:自分のために対して、他人のため、ワールドのためがどのように位置づけられているのかがよくわかりました。
潤:“楽しみやワクワクをもってやるのがいいのでは”ってことについては、今まで、「楽しさ」っていう表現が薄っぺらいと馬鹿にしていたということに気付きました。基本的にほおっておくと、その裏返しで、厳しくしないといけないんじゃないかと思う傾向がるので、そこは意識しておこうとこの機会に認識しました。
それと、自分にとって楽しいことって何なんだろうってことも考えてみたのですが、これまでやったことのないこと、知らないことをやってみるというのは楽しいですね。今、自分で畑に植えた野菜から種をとっているのですが、それが楽しいんです。あとは、最近やってないですが、妄想したことが実現されていくのも楽しいなと思います。例えば、実験をするために家がほしいなあって思い、周囲に話していると、実際に家が手に入ったこととかがそうですね。
香庄:この点については、これまでのインタビューからも何となくわかる感じがします。
潤:最後の、“一人でやらない方がいいんじゃないのか”という点については、バンコク以降、誰かとやるというよりも、まずは自分で始めないと、自分がやりたいと思う事が他者によって引っ張られてしまうのではないかという感覚があったので、一人でやっている方がいいなと思っていたんですが、最近、それはどうなんだろうなあって感じています。
しばらく一人でやることが多かったので、何かを人とやることで、どれだけ自分が楽しいと感じているのかどうかがわからなくなっている面もあるので、これまで仕事を一緒にしてきた人に聞いたりする中で、その時の感覚を思い出しながら考えてみたいなあと思っています。
香庄:それはぜひ聞いてみると良さそうですね。
自然にやさしいことが、なぜ自分の幸せに繋がるのかを改めて考えてみる
香庄:友人からもらった視点や問いによって得られた、あるいは再認識した潤さんの気づきを踏まえた上で、インタビューの冒頭でも話してくれた、そもそも、自然の循環にのるということが、つまり、自然にやさしいことが、なぜ潤さんの幸せに繋がるのかを改めて聞いてみたいと思ったのですが・・・。
潤:そうですね、ぜひお願いします。
香庄:以前にも聞いたことですが、もう一度切っ掛けを聞かせてもらえますか?
潤:はい。以前にもお話ししたかもしれませんが、バンコクでのビジネスを終了した後、次は、ビジネスで発生する色んな制約や前提がない状態で、純粋に自分にとって「意義」があると感じれることだけをやりたいと思ったんですね。その時、色々と模索する中で出した意義のあることが、”他人にも自然にもやさしい生活スタイルになる”という結論だったんです。なぜ、意義のあることに時間を使いたいかというと自分が幸せになるためでした。
香庄:これは初めて聞きました。
潤:と同時に、先程も少し話しましたが、「意義」というのは、自分自身のためだけにすることではないというイメージが僕の頭の中にあって、そこで「自然にやさしい」や、「人にやさしい」という考えが生まれました。なので、そういう意味では、今でも意義があるということをやりたいと思っているし、それが自分の幸せにも繋がっていると言えます。ただ、最近はこの意義についてはそこまで考えなくてもいいのではと思ってきています。
香庄:なぜなんですか?
潤:今はもう、意義があるのかどうかを抜きにして、ただ自然の中にそもそもいるだけで幸せだなあと感じていることもあるからです。自分という存在は、自然の中で植物が勝手に育ち、それを食べてさせてくれているから今こうして生きることができている、そんな風に自分だけで生きているのではなく自分は自然に助けられて生きている、サポートされていると実感している、そのことに幸せを感じているんです。
香庄:それこそ潤さんが求めている生活スタイルという感じがしますね。意義のあるなしに関わらず、潤さんが自然の一部であるという実感があり、心から幸せを享受できている状態。もしそうであれば、そもそもの話を深堀りする必要はなく、ただストレスで苦しまないようなゴールの設定さえできればいいと思うのですが・・・。
潤:そうもいかないんです。というのも、それが感じれている時というのは、ある特定の瞬間だけなんです。例えば、竹の子を採って食べるとか、雑草だと思っていたものをお茶として飲んだりとか、育てていた野菜から種が採れたとか、自然を身近に感じれるときなんですね。一方、それ以外の自然の循環に関わるゴミのことや、エネルギーや水のことをゴールに設定すると、苦しんだり、追われてイライラすることが多いんです。
香庄:これは単に、先程の友人からの気づきにもありましたが、ただ楽しいと感じれるものなのかどうかだけの違いなのかなあとも思いました。竹の子を採って食べることや、雑草だと思っていたものをお茶として飲むことは、誰がやっても楽しいですが、例えば、水道の水を使わずに生活をするとなると、それ相応の物理的な面での努力、精神的な面での苦労や我慢が必要になりますから。
潤:意義はあるけれども、幸せに繋がるようなものばかりではないような気がしますね。
香庄:ただ、これも先程の友人からの気づきにあるように、もしかすると仲間とやることで、そういった困難を乗り越えていくことができるのではないかと思いました。例えば、水のことで言えば、仮に川から水を引く水路を作るんだとしたときに、ただ一人で水路を掘り続けるよりも、同じ目的を持つ仲間とそれをやって、幸せも苦労も分かちあう方がいいですから。
潤:そうかもしれませんね。
改めて、自然にやさしいことをやっていきたい。でも、楽しさを忘れずに。
香庄:ここまで話してみて、どうですか?
潤:そうですね。自分が今までやれてないことを、具体的にやれるようになるというのは、やっぱり楽しいなあと思っています。自然の循環ということでいえば、生ごみについては、畑の土に戻したり、ニワトリの餌にすることで、結果として生ごみがなくなりました。これは循環が目に見えてわかりやすくて自分的にもすごくしっくりときてるし、達成してよかったなあって。今までやれていなかったけれど、実際にやることでいいカタチに変えられる、こういうことをしたいという気持ちがありますね。
香庄:言うのは簡単だけれども、実際にするのは簡単ではないと思うので、すごいと思います。
潤:結局は、先程も少しお話したと思うんですが、ゴミを出すとか、車に乗ったりとか、必要以上に電気を使ったりとか、何でもかんでも無駄使いするという生活を、自分も含めてしていることに対して、これって違うなと思いながらも他の手段が考えつかず、そのままの状態であるというストレス、それを解消したいんですね。
この生ごみの循環のように、今までやれてこなかったことを、自分がいい状態だなあと思えるカタチへやれるようになっていく、つまりは、自分がストレス源に感じていたもの、それがよくなっていくということをやりたいんだろうなあって。
香庄:今日は、今までとは違うかたちで、なぜ「自然にやさしい」が潤さんにとって大事なのかが聞けた気がします。
潤:そこで、それを実現するための概念としてサブプロジェクトをやる中で偶然見つけて、これだ!と思ったのがこの「自然の循環」なんですね。これは僕がやりたい「自然にやさしい」ことに近いなあって今でも思っていて、他の「他人にやさしい」「石川潤にやさしい」は結構良いかたちを見つけて、実現に近くなっているので、今は「自然にやさしい」をテーマはそこを掘り下げていくこと中心に、改めてやっていきたいと思いました。もちろん、楽しさも忘れずに(笑)。楽しさとともに自然の循環にのっていければと。
香庄:ぜひ楽しく自然の循環にのっていってくださいね。僕もそういう潤さんが見れると嬉しいです。