「PIXTA(ピクスタ)」は、プロ・アマ問わずクリエイターたちが写真・イラスト・動画素材を投稿・販売できるマーケットプレイスです。2006年5月末のオープンから着実に成長を遂げ、2015年8月現在のクリエイター数は約17万人、デジタル素材約1300万点がストックされています。いまや、圧倒的な国内シェアとなったPIXTAを運営するピクスタ株式会社 代表取締役社長の古俣大介さんも、ガイアックスを卒業した起業家の一人です。
新しい産業を創っていくワクワク感に魅了される
古俣さんとガイアックスとの出会いは1999年12月、多摩大学の大学に在籍しながら、ご自身でECサイトの運営をしていた頃のことです。ガイアックス代表の上田の知人に紹介され、当時渋谷にあったガイアックスのオフィスを訪ねます。
あの日のことは、よく覚えています。自分で起業したいと始めたものの、やれるところからやれる範囲で、というのが当時の僕のやり方でした。それに対して上田社長の話は、ゴールに向かって最短で向かうには今何をすべきかから考えるべきで、僕はその思考にすっかり触発されてしまった。そんな上田社長との仕事を少しでも体験したいと思って、一ヶ月間だけ無給で手伝わせてほしいと言ったところ、あっさり快諾してもらえました。
そうして大学の期末試験後に古俣さんが入社した2000年2月は、ネットバブル最高潮の頃でした。大手メディア関連企業へのソリューション営業にアサインされた古俣さんは、大企業の役職ある相手とのやりとりやスピード感、実際に自分が起点となってプロジェクトが動き出すことにワクワクしながらガイアックスでの仕事をスタートします。入社して10日後、社員登用の提案を受け、2週間後には社員となりました。入社の決め手は、今までニュースや本でしか知らなかった人たちとリアルで会い、新しい産業を創っていくメンバーの一員だというワクワク感だったと言います。それは、自分で運営していたECサイトでは体感できなかったことでした。社員として働き始めて半年ほど経った2000年8月末、そろそろ改めて起業の検討を始めます。
起業のため退職したいと話したところ、上田社長から、完全成果報酬で当時の子会社の役員として資金調達をやってみないかという対案がありました。入社前、経営はファイナンスが大事だという上田社長の話が印象的だったこともあり、自分の修行のためにも引き受けました。他メンバーはアサインされず、何もかも自分一人でやるしかない状況だったので、ろくに風呂も入らず必死でやっていました。でも、しんどいというよりは自分事として取り組めたので、楽しかった。ネットバブルも崩壊しつつあるタイミングで、目標金額は達成できなかったけれど、本当にいい経験でした。
精神と時の部屋で24時間仕事に捧げた10ヶ月
3ヶ月間の資金調達をやりきった後、起業への想いが抑えられなくなり、古俣さんは潔く退職します。インターネットの持つ力を最大限に活かしたプラットフォームを手がけたい、というイメージはすでにぼんやりとありました。わずか10ヶ月のガイアックスでの仕事は、古俣さんにとってどんな時間だったのでしょう
言うならば、「精神と時の部屋*」にいたような感じです。一日24時間すべてを仕事に捧げていた10ヶ月の間に大きく2つの学びがありました。一つは、自分の可能性に限界をつくらないこと。成功するかどうか未知なことに対しても、躊躇なくやりきるということをひたすら続ける上田社長の姿を近くで見せてもらったおかげで、ダイナミックな日々を過ごすことができました。もう一つは、徹底的にゴールから逆算して一日単位でどんな行動を積み重ねればよいか、という考え方です。この考え方は、PIXTAを経営する上でも肝に銘じていて、このパラダイムシフトがなければ、PIXTAは今の半分くらいの規模でしかなかったように思います。
*精神と時の部屋:マンガ「ドラゴンボール」に登場する。短期間で戦闘能力を大幅に向上させられる修行の部屋で、外界に比べて時間の流れが圧倒的に早く、重力も10倍である。
また、姿勢や考え方以外にも、ガイアックスでの営業経験もその後の起業で役立ったことの一つだと話してくれました。古俣さんがガイアックスに在籍していた頃の特徴は、業界上位5社を対象とするいわゆるマンモス営業。インターン・社員に関わらず、各社のキーマンを見つけて、どうすれば協業できるのかを徹底的に考える提案が主でした。そのためにいかに最短でアポを取るかというトークを身につけられたことは、PIXTAの広報や採用、資金調達でも活きていると言います。
ガイアックスを退社して10ヶ月後に有限会社を設立、最初に手がけた飲食店舗向け販促デザイン事業はうまく立ちいかず、紆余曲折を経て2003年12月から、兄とともに健康グッズを取り扱うECサイト事業を開始します。ブロードバンドの普及も相まって、1年後には月商1000万円を売り上げるサイトになりました。しかし、コンスタントに成長していく事業に達成感が感じられない自分に気づきます。人がつくった商品を他人と同じように売って儲けるのではなく、今までにない事業を立ちあげて社会に新しい価値を提供するために起業したいのだと、はっきり認識した古俣さんは、2004年の終わり頃から新たな事業について毎日考え続けました。
後編では、ピクスタ創業から現在に至るまでのストーリーと、古俣さんのアントレプレナーシップを培った生い立ちについてご紹介します。(インタビュー:コーポレートカルチャー室 佐別当/記:たつみまりこ)
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»ガイアックスを巣立ったメンバー間に “共通言語”が存在している〜ピクスタ株式会社 古俣大介氏インタビュー(後編)〜