これまでガイアックスは多くの起業家を輩出してきており、現在ではその組織自体がスタートアップスタジオとして機能しています。既存の枠にとらわれない新たな事業を企てる起業家・起業家予備軍が入社や投資を受けるために集まっており、また、それらの起業をサポートできるプロフェッショナルも多数、在籍しています。
今回インタビューしたのは、ガイアックスの卒業生でもある、株式会社TRUSTDOCK代表取締役の千葉孝浩(ちば たかひろ)さん。千葉さんは大学では建築を学び、卒業後は漫画家の道(!)へと進み、ガイアックスへ転職されたというユニークな経歴の持ち主です。本ブログでは、千葉さんの学生時代のお話や、ガイアックスで経験したことについてお届けします。
» スタートアップカフェに参加する
千葉 孝浩
株式会社ガイアックスでR&D「シェアリングエコノミー×ブロックチェーン」でのデジタルID研究の結果を基に、日本初のe-KYC/本人確認API「TRUSTDOCK」を事業展開、そして公的個人認証とeKYCに両対応したデジタル身分証アプリと、各種法規制に対応したKYC業務のAPIインフラを提供するKYCの専門機関として独立。フィンテックやシェアサービスのeKYCをはじめ、行政手続きや公営ギャンブルなど、あらゆる業界業種のKYCを、24時間365日運用しているクラウド型KYCサービス。さらには本人確認だけでなく、銀行口座確認や、法人在籍確認、マイナンバー取得など、社会のデジタル化に必要なプロセスも全て提供し、デジタル・ガバメント構築を民間から支援している。経産省のオンラインでの身元確認の研究会での委員や、金融庁主催イベントにて、デジタルIDでの登壇など、KYC・デジタルアイデンティティ分野での登壇・講演活動多数。
手に職をつける。2足の草鞋を履いて夢を追う
ー まずは自己紹介をお願いします。
株式会社TRUSTDOCK代表取締役の千葉孝浩です。TRUSTDOCKはeKYC(electronic Know Your Customer)・本人確認を行う会社としてはじまり、現在はさまざまな確認業務のプロセスをAPI(*1)として提供しています。2021年6月に13億円の資金調達を実施し、今も持続的な社会インフラとしての体制構築を強化しています。
この事業のアイディア自体は、ガイアックスに在籍した2006年〜2017年の間で見つけたものでした。
(*1)Application Programming Interfaceの略。ソフトウェアやアプリケーションなどの一部を外部に向けて公開することにより、第三者が開発したソフトウェアと機能を共有できるようにしてくれるもの。
ー 千葉さんはどのような学生時代を過ごしていましたか?
中高生時代は柔道をやっていました。柔道部の部長や運動会の応援団長をやったりと、けっこう体育会系だったんですよ。一方で、絵を描くのも好きで、図工や美術も得意だったことから大学は建築学科に入りました。建築は技術と芸術の両立が必要な分野で、その両方のバランスが取れることって美しいなという考えを持っていたんです。
大学生時代は友達とDJイベントをしたり、いろんなことをやっていましたね。大学の研究室では、Adobe製品も使えるし動画制作やCADで3DCGもできる人も多かったので、DVDのオーサリングや3DCG制作、印刷物やWEBサイトのデザインの仕事など、周りと一緒にさまざまなバイトを経験していました。
ー 卒業後、建築の道に進むという選択肢もあったのですか?
実は小さい頃から漫画家になるという夢があり、大学を卒業したら漫画家にチャレンジしようと思っていたんです(笑)。
妄想の世界においては、絵と文字で表現する漫画が最高のクリエイティブだと思っていて、現実の世界においては、技術と芸術のバランスがとれた建築がいいなと思っていて。だから大学では建築を学ぶことにして、建築というリアルな方にも手をつけながらも、将来的には妄想の世界のことにもチャレンジしようと思ったんですよね。
私が大学を卒業した2000年当時はちょうど就職氷河期のピークでしたが、建築学科の人たちは建築家になりたい人が中心でした。そのため、私の周りでは就活の悲壮感は感じなかったし、「やりたいことをやろうぜ」という空気で満ちていて。加えて、私の実家は自営業をしていたので、サラリーマンになるという感覚が我が家にもなかったんですよね。「手に職をつけて自分で食い扶持を稼ぐ」という考え方の方が自分に馴染みの深いものでした。
なので、大学を卒業してからも就職はせずに、個人でデザイン制作などを請け負って仕事をしていました。ポスターやパンフレットを作ったり、Web制作をしたり内装を手伝ったり。そうした仕事もしつつ、夢を叶えるために漫画家のアシスタントをしたり、自分の描いた漫画を応募して賞をもらったり……、なんてことも一方では進めていました。
「商人」としてのスキルを求めてガイアックスへ
ー ガイアックスへの入社はどのような経緯で決めましたか?
個人で仕事をしながら漫画を描く生活を4年くらい続けていましたが、なかなか連載には至りませんでした。両親からも「そろそろ……」と声をかけられるようになったので、就職活動をすることにして。「インターネットならグローバルでレバレッジが効くな」という考えもありつつ、新しい物が好きで自分でつくることも好きだったので、中途採用をしているIT企業をいくつか受けてみることにしたんです。その中の1つがガイアックスで、ご縁があって2004年に入社しました。
ー ガイアックスを選んだ決め手は何でしたか?
「面白くて、かつ自分自身にないものを持っている人たち」と仕事ができそうだなと感じたのが大きな理由です。
私の実家は町工場を営んでいて、僕自身も漫画を描いていたので職人の気質が強かったこともあり、もともと「商人」に対して憧れを持っていました。なので、商人としてのスキルを身につけたいなと考えていたところ、ガイアックスの選考で話した人たちが職人気質もありながら営業能力の高い面白い方々ばかりだったんです。他社からも内定をいくつかいただいていましたが、この二面性を持っている人には会えることが他ではなかったので、とても感動して入社したのを覚えています。
そしていざ入社してみると、想像していた以上にもっと変人が多かったんですね(笑)。
約11年間在籍する中でたくさんの出会いがありましたが、例えば同世代には佐別当さん(現株式会社アドレス 代表取締役社長)や小高さん(現株式会社Tokyo Otaku Mode 代表取締役社長)、肥後さん(現株式会社TRUSTDOCK 取締役)がいたり、新卒では江戸さん(現アディッシュ株式会社 代表取締役)が入ってきたりと、一癖も二癖もありながら起業家として結果を出されている面白い方が数多くいました。
ー 11年ほど在籍される間に、どのような経験をされましたか?
最初は、ゲームのオンラインコミュニティで使うアバター制作のディレクションをしていました。
当時は、ガイアックスのブランディングを手掛けているナターシャが社内デザイナーだった頃で、彼女にデザインをよく発注していましたね。
その後、受託開発のプロジェクトにアサインされて、サービスの企画プランニングから外部設計、いわゆるフロントエンド(WebサービスやWebアプリケーションで直接ユーザーの目に触れる部分)の設計に携わるようになって。ほかにも、Facebookが日本に入ってくるときにみんなで書籍を書いたり、FacebookのAPIを使ったビジネスや運用系の業務もしていました。
その後、会社として新規事業開発に注力するようになり、2011年頃からは新規事業開発に専念することになりました。2013〜2014年頃からは若手のエンジニアと組んで新規事業チームという形になり、その頃には本社オフィスから私の席が完全になくなっていましたね(笑)。
その後、フォトシンスを創業することになるエンジニアメンバーたちと、恵比寿のOpen Network Labや目黒のHUB tokyoに行ったり、転々としながらリーンなプロセスで新規事業立ち上げを繰り返していました。
出し惜しみせず、余力を残さない。新規事業開発で試行錯誤を徹底的に繰り返す
ー 新規事業開発数において、どのように仮説検証を進めていったのでしょうか?
まず、巷にある色々な新規事業開発のフレームワークやメソッドを素直にすべて使ってみるというチームにしました。それなりにキャリアや経験があると、いろいろな書籍やノウハウを学んでもつい我流でやりたくなってしまいますが、わかったふりをせずにちゃんと先人のノウハウを運用してみることを重視しようと。
次に、取り組む課題に対して高い熱量で取り組めるかどうかを確認し合いました。事業を立ち上げようとするとき、その課題を解決したい思いがなければ新規事業は立ち上げることはできません。なので、当時のメンバー4人で1人につき100個ほど生活している中で感じる課題と解決するための事業案を出して、「そもそも、その課題は存在するのか?存在するとしたら自分たちが解決するだけの熱量を持てるのか?」を話し合っていったんです。
その後、そのフェーズを突破した10個くらいの事業アイディアを検証プロセスへと回していきます。
当時は、事業をつくるにあたって、リーンスタートアップ(*2)の考えにある「フェーズごとのKPIを越えないものは終了する」という撤退基準を自分たちで設けていました。例えば、シニアのセカンドライフ問題に焦点を当てて、シニア層を業務委託形式で企業側の雇用とマッチングさせる事業は半年くらいで見切りをつけました。物によっては、もっと手前のインタビューフェーズで終わったサービスもあります。
2014〜2016年の2年間で10個くらいの仮説検証を行い、実際にMVPとなるプロダクトまで作ったのは2事業くらいですね。(*Minimum Viable Product。最小限の価値を発揮できるプロダクト。)
毎回「これでいく!」「この課題を解決する大きなビジネスをするぞ!」という気持ちでやっているので、撤退時は気持ちの部分で後ろ髪を引かれることも多かったのですが、KPIのモデルに沿ってちゃんとビジネスとして社会に価値を提供できるのかをドライに判断をしていく感覚でやり続けていました。やはり、ビジネスには冷静と情熱の両方が必要なので、その両立を実現する力を養っていた期間があの頃だったなと振り返って思います。
(*2)リーンスタートアップについて、詳しくはこちらの記事をご覧ください。
ー 2年間でどのような学びがありましたか?
企業の中での新規事業は、失敗が多いですし、作ってはクローズすることを繰り返しているので、一見何も会社に貢献していないと思ってしまうんですよね。穀潰し的な。
私は漫画家稼業をしている時に、漫画の持ち込みで千本ノックをしていたので基本的には鉄のメンタルではあります(笑)
それでもネガティブなことが続くとメンタルは落ち込むので、「結果が思い通りに出ない時の向き合い方」を学びました。
失敗も見方を変えれば次へのステップです。「これは道の途中だから」とひたすら言い聞かせて、その空気感をチームでも共有していました。
当時は組織の中で、他部署のメンバーが上げている利益を使っていて申し訳ない気持ちが半分と、もう半分は皆さんに還元するためにやっているという両方の感覚が同居していました。でも、だからこそ全力でチャレンジするんですよね。出し惜しみしないことだけは決めて、余力を残さず、手癖や惰性でやらないというのが新規事業においては重要だと考えています。
ー ありがとうございました!次回は、TRUSTDOCKがガイアックスを巣立った後のストーリーをお聴きしていきます。
後編のブログはこちら: 全力の挫折経験が直感力を磨き、TRUSTDOCKという勝負への道を切り拓いた
まず、千葉さんが元漫画家だということに驚きました。ちなみに、ドラゴンボールの作者である鳥山明さんみたいになりたいと思っていたそうです。漫画でもビジネスでも何をするにしても、「出し惜しみしない」ということがキーワードになりそうです。後半もお楽しみに!
このインタビュー記事の動画も是非ご覧ください
Vision Notes Episode 6 – 株式会社TRUSTDOCK 代表取締役 千葉孝浩
『漫画家志望からベンチャーに転職し、社長になった人の物語』