2022年7月に開催されたU25向けのアイデアソンイベント「U-25 Start Dash IDEATION 2022 Summer in SAPPOROーアイデア出るまで帰しません!ー」。ガイアックススタートアップスタジオ責任者 佐々木 喜徳さんの隣に、懐かしい顔を発見!
2006年にガイアックス新卒3期で入社し、営業チームで活躍後、北海道庁に入庁した荒木 祐亮さん。ガイアックスを卒業して公務員の道に進むのはけっこうレア。聞けば今は一周回ってスタートアップ支援を担当しているとのこと。
今回のブログの主人公は荒木さん。ガイアックスとの出会いから、卒業、北海道庁入庁、今の仕事についてお話を伺いました。
荒木 祐亮
北海道経済部産業振興課 主査(スタートアップ)
2006年ガイアックスへ入社。営業部配属。2008年モバリスト事業を立ち上げ、1.5億円の事業に成長させ、MVP獲得。2011年3月にガイアックスを退職し、北海道庁に転職・北海道へ移住。現在は、海と山に囲まれた小樽にて家族と暮らす。
ーーお久しぶりです!なんか北海道で佐々木さんたちと楽しそうなことやってたみたいで?
今期からスタートアップ支援の担当になったんです!ちょうど同じ頃、ガイアックスでもスタートアップスタジオ協会を立ち上げるということで、佐々木さんと連絡取って一緒にイベントをやっていました。
ーー事業のアイデアが出るまで帰れないイベントだったとか?
そうなんですよ。昼の14時にスタートしてから、本当に朝5時までずーっと。こういう感じ久しぶりでした!
ーーガイアックスっぽい感じ(笑)。今日は、ガイアックス時代の話や今の仕事のことまでいろいろ伺えればと思います!
よろしくお願いします。
「生きていく力」と「SNS」がつなげたガイアックスとの縁
ーー荒木さんは新卒3期目の入社ということですが、学生時代はどんなことをやっていたんですか?
まちづくりや地域づくりに興味があって、たとえば農村に1カ月くらいお世話になって農家さんと一緒に生活しながら仕事のお手伝いをするとか、当時最先端だったニセコ町でまちづくりの勉強をしたりだとか、そういったことをやっていました。
将来的にも地域に住んでその地域活性に携わるような仕事をしたいと考えていました。
ただ実は、最初はどちらかというと都市への憧れのほうが強くて、たとえば「六本木ヒルズ」ができる頃に近くの設計事務所でインターンをしたりもして、都市のダイナミズムに喜々としていましたね。
でも、都市だけじゃなくて逆サイドも知りたいと思って、「地域づくりインターン」にあえて参加したのが地域づくりに興味を持ったきっかけです。
ーー地域づくりインターン?地域おこし協力隊みたいなものでしょうか?
そうですね。当時……2003年くらいだと、まだ地域おこし協力隊という制度もなかったのでその先駆けのようなものだと思います。
ーー20年近く前ですね。当時地域に目を向ける若者は珍しかったのではないですか?
今でこそ「地域おこし協力隊」という制度を活用して地域に行く若い人も多いですけど、時代的にも「東京が一番」という雰囲気がありましたし、僕自身も東京への憧れが強かったです。
地域づくりインターンには、「一回田舎も見ておこうかな」くらいの軽い感じでノリで参加したんですよね。でも、この体験は自分にとっては凄く衝撃的でした。
「自分の食べるものを自分でつくって暮らす」
この本質的な人としての営みに触れて、シンプルにかっこいいと思いました。そこで暮らす人たちにとっては当たり前のことを当たり前にやっているだけなのかもしれないけど、この暮らしこそが本物だと感じました。
たとえば、東京でネームバリューのある会社に勤めていたとしても、その会社がいつどうなるかなんてわからない。そう考えたときに「生きていく力」が強いのはこの田舎の人の暮らしだなと確信したんですね。
「あ、こっちだ」直感的にそう感じました。
それで、将来は地域で生活者として生きながら、地域を元気にしていきたい、そう考えるようになったんです。
ーー生きていく力かぁ……
とはいえ、いきなり地方に行っても、自分にできることって限られてるなという感覚もあって、まずは東京で力を付けたい、東京で就職しようと思っていました。
地域づくりインターンの先輩たちも、大手企業や、広告代理店、経営コンサルなどに就職する方が多かったこともあって、自分もまずは東京でそういった力を付けようと考えていましたね。
ーーそれでどうやってガイアックスとつながるのか、今のところ全然わからない……
ですよね……。実は学生時代に木村さん(ブランド推進室・木村智浩)に会ったことがあって。
早稲田大学の近くで「ドットジェイピー」という団体が主催の「ジャパンプロデュース」というイベントがあって、友人に誘われて参加したんです。
その会場に、当時早稲田大学の学生だった木村さんがいました。
ーーなんと、学生時代の木村さんに!
そうなんです(笑)。そのときに木村さんから名刺をいただいたのですが……
その名刺に、ものすごくたくさんの肩書きが書いてあって、カルチャーショックというか「同じ学生でこんな人がいるんだ!」と感じたことを強烈に覚えています。
ーーあ、なんか想像できます。
そんな木村さんとの印象的な出会いから少し時間が経って、就活しはじめた頃にちょうどmixiやGREEといったSNSが流行りはじめて、木村さんとSNS上でつながりました。
「あのものすごい学生だった木村さんってどんなところに就職したんだろう?」と気になってプロフィールを見たら「ガイアックス」と書いてあって。
「ガイアックス……?」「……ってなんの会社?」って(笑)。
ーーうんうん。当時は知っている人の方が少ないと思います。
それで検索していたら、社長の話が聞けるというのを見つけて上田さん(代表執行役社長兼取締役 上田祐司)の話を聞きに行ったのがガイアックスとの出会いです。
ーーえ、そんな出会い!?
SNSでつながって……というのが、なんかもうガイアックスっぽいですよね。
それで上田さんの話を聞いて、上田節って言うんですかね?特に上田さんの事業立ち上げスキルの話が本当に面白くて刺さりました。自分自身「生きる力」とか「どこでも生きていける」ということに関心があったので、自分が身に付けるべきなのはこの「事業立ち上げスキル」なのではないか、そして「これを身に付ければどこでも生きていけるんじゃないか」と感じでガイアックスに興味を持ちました。
そこからガイアックスのいろいろな人に会うことになるのですが、会う人会う人がみんな凄くて。松井さん(当時のCMO)やさべさん(株式会社アドレス代表取締役 佐別当 隆志)にはじめて会ったときのことは良く覚えています。
ーーどういうところが”凄かった”のでしょう?
まず、やたらみんな自信満々でしたね(笑)。
僕もその頃、いくつかの企業から内定をいただいたりして、さまざまな人と会う中で自分の将来をイメージしてたんですよね。10年後どうなってるかな?5年後は……?というような形で。
そういうさまざまな人たち以上に、なぜかガイアックスの人たちは超自信満々で……なんなんだろう?と感じました。
そうこうしてるうちに一緒に選考を受けていた蔵田さんだったり、他の人たちも「どこそこの内定蹴ってきました!」「私、ガイアックスに決めました!」というような感じになってきて……。
僕は、ベンチャーは全く考えてなかったですし、正直怖さというか「大丈夫かな?」と思っていたところがあったのですが、将来を考えたときに「あえてイバラの道を行く」じゃないですけど、そっちの自分に掛けてみたい、想像できないほうに行ったらどうなるんだろう?という気持ちに変わっていって、結果ガイアックスへの入社を決めました。
謙虚にコツコツやっていくことの大切さ。社会人としての足腰をつくってくれたガイアックスの先輩たち
ーー MBAを取得して大学院からのガイアックス新卒入社なんですね。
そうですね。でも実はMBAを取りたくて……というのは口実で、本当は学生時代にいろいろやりたいことがあって、学生を長く続けていた部分があります(笑)。
先ほど話に出た農村での地域づくりインターンの他に、世界をバックパッカーで回ったり、国際交流の船に乗ったり、地域活性のイベントを企画したりと、実は休学までしたりしているんですよね。
ーー そんなにいろいろと!じゃぁ、新卒と言っても年齢はみんなよりもちょっと上なのかな?
そうですね。新卒でガイアックスに入ったとき25歳で、みんなよりも3つ年上でしたね。
社会人経験が長くなってくると、2〜3年なんてほとんど変わらない感じだと思いますが、新卒のときの2〜3年ってけっこう大きくて、自分も「いやいや、自分はもう25だし」という感じはありましたね。
しかも、ガイアックスのメンバーってみんな若いんですよ!
最初の上司は1つ年下の村井さん(現 AppBank株式会社・代表取締役 村井 智建)でしたしね。
ーー 年下の上司!ガイアックスあるある!
村井さんの下にいて2ヶ月くらいした頃、「地方に興味あるなら、名古屋の支店を立ち上げることになったから来ないか」と言われて、今度は名古屋事務所に行くことになりました。
「名古屋事務所もいつまでいるかわからないからカプセルホテルでいいだろう」と言われて、今じゃ「サウナで暮らす」ってちょっとイケてる感じになっているかもしれないですが、当時はそんなかっこいいものでもない、名古屋の繁華街、栄にあるウェルビーでの暮らしが始まりました。
この名古屋事務所での僕の上司が……今度は4つ年下だったんです。しかも、名古屋大学の学生でインターンだって言うんですよ!
ーー え〜!?
ちなみに、その年下の上司はLITALICO現社長の長谷川 敦弥さんだったんですけどね。
僕は年もみんなより上だし、学生時代にそこそこいろいろ経験してきていると思っていたし、自分はそれなりにいけるだろうっていう自信があったんですよね。
それが、4つも年下で、しかも学生でインターン生が上司ですよ!?
え……。と思う部分もありましたが、社会人になったら結果がすべてですよね。
そういう面で言うと、僕自身は営業の数字が全然上らなくて……。
毎日夜遅くまで仕事して、カプセルホテルに帰って、同じ場所で寝泊まりしていた長谷川さんからサウナの中で汗をかきかきレビューを受けて……そんな日々でした。
ガイアックスに入ってからの最初の数年間は本当にきつかったですね。全然結果が出せなくて。
ーー そうだったんですね。
そんなときに、上田部長(当時の営業部長、上田代表の兄)から言われて今でも覚えている言葉があります。
「お前、コップの水を捨てろ」って。
「お前のコップに水を注ごうとしても水がもう入り過ぎててダメだから、コップの水を一回捨てろ」
って言われたんです。
ーー コップの水?
みんなよりも年上とか、経験があるとか、自分のプライドとか、そういうものが邪魔をしているということに気付かせてくれた一言です。
振り返ってみると、他人からのアドバイスも素直に受けられてなかったですし、そこから「謙虚になろう」「地に足着けてコツコツやっていこう」と思えるようになりました。
ーー 素敵なアドバイスですね。
名古屋事務所はそれから1年経たずして撤退して、東京に戻ってきました。そこからは松井さん(当時のCMO)が率いる営業部で仕事をするようになりました。
松井さんからも継続することの大切さ、コツコツやっていくことの大切さを教えられました。
ーー 東京に戻ってからは、毎日どのような感じで仕事をしていたのでしょう?
僕はなかなか日の目を見なくて、本当に社会人2〜3年目はしんどかったんです。
結果が出るまで「誰よりも早く出社しよう」と決めて、毎日朝7:00に出社して松井さんに「おはようございます!」とメールをすることから一日をはじめる、それをとにかく繰り返し繰り返し毎日やっていました。
松井さんからも「量が質を産む」と教えられて、本当にコツコツ泥臭い仕事を積み重ねていきました。今のガイアックスの最先端でかっこいい感じからは想像できないかもしれないですね(笑)。
ーー コップの水、捨てたんですね。
そうですね。コップの水を捨てて、毎日一滴ずつ一滴ずつ入れていくような感じでした。
そうやって目を掛けてくれる先輩がいたことには感謝しかないです。
当時の自分はかなりふわっとしていたと思うんです。それを見抜いて地に足を着けていくことを教えてくれたこと、今振り返ると、僕の社会人としての足腰をつくってくれたと感じています。
今でも、いろいろと思い出すんですよ。松井さんに何度も言われた「仕事は確認や!」という言葉とかね。
ーー 松井さんや上田部長は心の師匠ですね。
この時期に自分が学んだことは、どういう道に行っても当たり前に大事なことで、ベンチャーだとか行政だとか関係なく、社会人としての基礎体力だと感じています。それを身に付けさせてもらいました。
事業リーダーとして月次1,000万円の目標を達成。学生時代に考えていた地域の仕事へ
ーー そんな時期を経て、ガイアックスには何年在籍していたのでしょう?
5年ですね。
ーー あ、もっと長いかと思いました。荒木さんといえば「モバリスト」というガラケー向けのコンテンツ提供サービスのリーダー、そして合宿の人のイメージがあります!
合宿(笑)。
合宿もガイアックスの文化ですよね。
宴会なんかも好きだったので、合宿リーダーも含めて一通りやりました。
ーー 当時の合宿は体育会系で、THE宴会って感じでしたよね。
そうでしたね。当時は自分が20代だったので、30代の先輩方を「中年隊」と任命して歌って踊ってもらうような企画もやりましたね。
今思えば、まだ30代のみなさんに「中年隊」は悪かったかなぁ(笑)。
ーー 笑。荒木さんにとって合宿ってどんな位置づけでした?
実は合宿の設計って仕事の設計と同じなんですよね。
同じ社内とはいえ大人数を動かすので、全員の満足度をとりにいくために入念なシミュレーションや設計が必要だったり、部署を横断した声掛けや企画づくり、仕事にも活かされる経験になったと思っています。
ーー そんな合宿の経験も活かしつつ、モバリストでは事業リーダーとして活躍していましたね。
当時はまだガラケーの時代で、公式サイト・勝手サイトと呼ばれるモバイルサイトに載せるコンテンツを買い付けて、各サイト向けにアレンジして販売するというサービスでした。
「コンテンツの商社」を目指していて、ゲームや占いを始めとするさまざまなコンテンツを提供していました。コンテンツを制作しているライターさん、写真家さん、新聞社など、ユニークな人たちとたくさんお会いすることができたのも思い出の一つです。
ーー モバリストは何年ぐらい携わっていたのですか?
ガイアックス在籍5年のうち、モバリストが3年くらいですね。
当時の営業部は、ランニングビジネス、今でいうサブスクのビジネスを強化しようとしてた時期で、月次1,000万円を一つのマイルストーンにしていました。
コツコツ積み重ねて、モバリストも目標である月次1,000万円を達成して、全社会議でMVPも獲得することもできました。それが自分の中で一つの区切りになって、ガイアックスを卒業して次に進もうと決めました。
ーー そして、現職の北海道庁へ。それは公務員試験を受けたということなのでしょうか?
実は、ちょっと違うんですよね。
モバリストでの目標を達成して、次のステップとしては、やはり学生時代から考えていた地方に行きたいという思いがありました。
結婚もしていたので、家族とどこに住もうかという話をしていたときに、北海道が面白くて可能性に満ちあふれていると感じました。奧さんの出身も北海道でしたし、自分自身も学生時代にニセコ町で勉強させてもらった縁もあったので、まず「北海道に行こう」ということを決めました。
で、北海道に行こういうことは決めたのですが、じゃあ仕事どうしよう?と(笑)。
まずは、いわゆる転職活動や北海道の移住フェアに行ったりしていましたね。
そんなとき、購読していた移住系のメルマガで、「北海道庁で民間の経験者を採用します」という募集を見つけたんです。
いわゆる公務員試験はなくて、小論文と面接というような選考でした。
ーー そういう選考があるんですね。知らなかった!
実は、公務員には全く興味なかったんですよ。
新卒の就活のときによくある適職診断でも「一番向いていない職業”地方公務員”」ですからね(笑)。
でもまぁ、北海道に行く手段としてまず受けてみました。
ーー そうだったんですね(笑)。で、無事合格をいただいて今に至る、と。
そうですね。
当時は、まさか10年も北海道庁にいるとは思ってなかったです(笑)。
ーー この10年ではどのようなお仕事をしてきたのですか?
主に企画・経済畑で新規事業を立ち上げる仕事に取り組んできましたが、印象的なのは大樹町(たいきちょう)という町での仕事です。
道庁で仕事をしていくなかで、もう少し地域に密着した現場での仕事がしたいと思うことがあって、市町村での仕事に手を挙げて大樹町に行きました。
ーー 大樹町?どんなところでしょう?
大樹町って、十勝地方にあるホリエモンがロケットの会社を使った町なんですよ!
30年以上前から宇宙をテーマにしたまちづくりをしていたり、人口6000人弱の小さい町なのに、JAXAを始め、各界の面白い人たちがいらしたりだとか、そんな環境で地元の人たちと一緒に宇宙食を開発したりとか、面白い仕事ができました。
ーー 実際に地域の仕事をやるようになって10年とのことですが、学生の頃に地域で暮らす人たちに対して感じた「かっこいい」に、今どのくらい近づいている感じがしていますか?
どのくらいというのはちょっと難しいのですが……。
僕が学生の頃に、お世話になったり飲み交わした地域の人たちが、当時40代前半くらいだったと思うんですよ。ちょうど今の僕と同じくらいなんですよね。
あの頃の彼らと同じ年代に自分もなったんだなと。
だから、今度は自分が若い人たちと関わったり、次の世代を育てていく、そんな時期になってきているんだろうなと感じていますね。
ーー そんなタイミングで、まさにスタートアップ支援の仕事をするようになったということですね。
そうなんですよ。ご縁を感じますね。
スティーブ・ジョブスの「Connecting the dots」という言葉のように、自分が経験してきた点と点とが振り返ると今につながっているという感覚があります。
たとえば、今年からスタートアップ支援の仕事に携わっていますが、北海道らしいスタートアップということで先ほど話に出た「宇宙」がキーワードになっていたり、ニセコにいたときに立ち上げたニセコ留学という事業は、冒頭にお話した学生時代の「地域づくりインターン」や「国際交流」の体験が元になっていたりします。
自分が体験して良かったことを、また若い世代に体験してもらってること、還元できていることが嬉しいです。今、とても楽しいです!
どこにいてもどんな道に進んでもベースになるガイアックスの起業家スピリッツ
ーー 今のお仕事をしている中で、ガイアックスでの経験が活きているなと感じる瞬間はありますか?
いやぁ、「大事なことはすべてガイアックスで学んだ」って思ってますよ。
たとえば、営業の話だと、前述の名古屋時代は新規開拓で飛び込み営業をしていたのですが、「ガイアックスの荒木です。」と名乗ったところで「え、どなたですか?何の会社ですか?」という感じなんですよね。説明コストがめちゃめちゃ高い。
でも「北海道庁の荒木です。」となると、細かい説明をしなくても一定の信頼があって、どんな人でもまず会ってもらえる。これ、ものすごい武器なんですよ。
だけど、道庁のなかにはこれが武器だということに気付いていない人が多いです。僕は、ガイアックスでの経験があるから、この強みを最大限に活かすことができるんです。武器を持っていることも武器の使い方も知っているから、どこにでも飛び込んで営業ができる。自分自身の強みにもなっています。
先ほどのニセコ留学の事業を立ち上げたときも、この強みを活かして各地の大学への飛び込み営業をしていましたね。
ーー 確かに、その武器に気がつけない人も多そうです。
それから「社内営業をしろ」と教わったことも大きいです。
ーー 社内営業?
ガイアックスって隔週で全体会議がありましたよね。
仕事って、さまざまな関係者のサポートがあってやっと一つのことを成し遂げられるものだと思いますが、他の部署や他のチームが何をしているかなんて知らなかったりしますよね。
それが、たとえば全体会議で発表すると、それを聞いて案件を紹介してくれる人がいたり、困っているなら紹介しようか、と助けてくれたりするんです。
社内に向けて発信して伝え、仲間をつくることが大事という意味での社内営業です。
これもガイアックスで学んだ大切なことの一つです。
社内に向けて発信しないのはもったいないです!
北海道庁の職員って15,000人くらいいるので、さすがに知らない人も多くて全員に発信は難しかったりはするんですが、どんな環境でも、組織のメンバーに対してアピールすることは本当に大事です。
それがきっかけで、良い話が舞い込んだり、案件がつながったり、自分自身もステップアップできたりするんです。
ーー 隔週の全体会議懐かしいです。
準備や発表、まぁ確かにめんどくさい部分もありましたけど、大事な時間でした。
ーー そうですね。今は隔週ではやっていないので、少し変わってきているかもしれませんね。
外から見ていて、今のガイアックスはすごくコアな部分に研ぎ澄まされた感じがしています。
時代ごとの変遷を経て、僕の在籍していた頃と変わった部分も多くあると思いますが、そのコアな部分は変わってないなと思います。
ーー 最後にこれからガイアックスを背負っていくメンバーにメッセージをお願いします。
ガイアックスで培った起業家スピリッツは、起業家でなくとも活きる!
ーー お!
このスピリッツって、どこにいてもどんな道に進んでもベースになるものだと思うんです。
実際に、僕は今こうして立場こそ公務員ですが、「前例にとらわれない」・「環境のせいにしない」・「スピード感を持って、まずはやってみる」、そういった気持ちで仕事に取り組んでいますし、実際に過去2度、職員表彰という形で評価いただいたこともありました。もちろん、組織で取り組んでいる以上、個人の力だけでは当然ないですけどね。
それと、こうやってOB&OGがつながっていることも価値の一つですよね。
今、日本全国、海外にもガイアックスのメンバーがいますよね。
そういったみなさんとこれからもつながっていきたいですし、この先またどこでどうガイアックスのメンバーとつながるのかも楽しみだったりします。
ーー あ、ガイアックスのミッションって「人と人をつなげる」でしたね(笑)。
まさに!そうでした!
ーー 荒木さん、今日はありがとうございました。
荒木さんの話を聞いていて、人生って面白いほどにつながっていくものなんだなと感じました。ガイアックスの自由過ぎる社風から公務員という道へ。「真逆な環境だろうから、ガイアックスでの経験は一旦横に置いて、0からのスタートだったのでは?」と勝手に想像していたところがありました。学生時代の経験、ガイアックスの経験、すべての流れが今の荒木さんをつくっていると知れたこと、そして「大事なことはすべてガイアックスで学んだ」とストレートな言葉で語ってくれたことがとても嬉しかったです。スタートアップ支援担当になったということで、これからまたガイアックスとの接点も増えそうですし、ガイアックスと行政と両方知っている荒木さんにしかできないスタートアップ支援施策が生まれるんだろうなと思うととても楽しみです!