「あなたのミッション、やりたいこと何ですか?」
ガイアックスでは当たり前のように、日常的に問われる質問。でも、自分のミッションと言われて、困る人も当然います。今回お話を伺った、元ガイアックス社員であり、現アディッシュ株式会社取締役の杉之原明子(すぎのはら あきこ)さんも元々は「やりたいことなんてなかった」と言います。
「学生時代は普通に丸の内OLになることを目指していました」と言いながらも、ガイアックスに入社してから新規事業立ち上げ、所属部署の子会社化、取締役として会社を上場させる経験をしてきた杉之原さんに、今までのキャリアについてお話を伺いました。
インタビューしたのはガイアックスの荒井智子さん。2013年頃、同じ部署に所属していた二人が、当時の様子を振り返りながらお話を進めていきます。
第一部のブログはこちら:「やりたいことがなかった」私が、上場ベンチャーの女性役員になるまでのファーストキャリア
働く喜びを見つめ直し、選択肢を断捨離しながら、道を作っていく
入社当初の目標を5年も早く達成し、キャリア迷子に・・・
荒井:目標だった「事業責任者」に就任して、「スクールガーディアン事業部の顔」として結果を残したあと、どのようにご自身のキャリアをアップデートしていったのですか?
杉之原:当初「30歳までになりたい」と思っていた事業責任者にも25歳くらいでなれたので、「この会社に次のキャリアはあるのかな?」と思い始めました。月額の黒字化と累積赤字の解消もでき、当時の社員総会の事業部発表で2年連続で優勝もして集大成としてやりきった感覚があったし、自分がいなくなる事が次のメンバーにとってのチャンスになるとわかっていたので、自分が事業責任者としてここに居続けるという選択肢がなくなってきていました。
その時、たまたま見ていた航空管制官のテレビドラマがあるんですけど、第1話の開始10秒くらいで鳥肌が止まらなくなってしまって…「私がやるのは航空管制官だ」と思い立ち、次の週から公務員試験のために予備校に週3で通いながら事業責任者をやっていました(笑)
公務員試験に一発合格して、江戸に「会社を辞めます」と言ったのが2013年の8月でした。ちょうど所属していた部署を子会社(現アディッシュ株式会社)として分社化するという選択肢が出ていた頃でもあったので、公務員になるか、会社を作るかの2択になっていました。
荒井:かなりユニークな二択で悩まれたんですよね!(笑)どのように「会社を作る」という選択に至ったのですか?
杉之原:江戸と一緒に「働く喜びは何か?」という話を重ねていたのですけど、当時の私は組織の中で壊れてしまったチームをまたいい状態にしたり、組織の足りていないところを修理することにもやりがいを感じていました。「自分が挑戦することで働くメンバーが幸せになること」が当時の私の働く喜びだと言語化した時に、公務員になる場合は、自分が動いて変えられる余地があまりなさそうだと思ったんです。決心するまでに4ヶ月くらいかかりましたが、最終的には自分の働く喜びと照らし合わせて会社を作ることに挑戦することにしました。
もともとスクールガーディアン事業は次の人に引き継ぐと決めていたので、自分の言語化した働く喜びに基づいて管理部・コーポレート側にキャリアチェンジをして、自分の見る範囲を広げてみたいという思いが会社設立時には湧き上がっていました。
「何がやりたいの?」と問われ続けた先に、やりたいことが見えてきた
荒井:事業責任者をやっていたところから、いきなり新会社の管理本部立ち上げを担当することになったのですか?
杉之原:まあ、自分がそうしたいと願ったとしても、管理本部の立ち上げを経験していない人には任せようもないし、その役割に手をあげても誰も給料を払わないですよね・・・いろいろと動いてみて、管理本部を立ち上げる使命を負うまでに1年かかりました。当時は管理部機能は全てガイアックスがやってくれていたので、新しく管理本部を作らなくても、会社を作れたし、実務も回っているという状態でした。それでも、アディッシュの管理部を独自に作るというチャンスを虎視眈々と狙っていました。その時はカスタマーサポート事業の東京の責任者をやりながら慶應丸の内シティキャンパスが提供している30万円くらいの人事の講座に通って、当時のガイアックスやアディッシュの役員陣に議事録を送りつけてアピールしていました(笑)
荒井:きちんとプランがあって進んだというよりは、巡り合わせとタイミングを見計らいつつ勉強を始めていたんですね。やると決まっていないのに勉強を始めたり動き出して、発信までするというのが杉之原さんの強さだと思います。
杉之原:私以外に適任者はいないと思っていましたし、声をあげたら、その声を無下にしない会社だということだけはわかっていました。ただ、管理本部を立ち上げるというチャンスをどうしたら得られるかは分からなくて、今振り返ると本当に稚拙な感じでやっていたと思います。
荒井:インターンでガイアックスに入った時に比べるとかなり大きな変化ですよね。どう動いたらいいのかもわからない状態でコツコツと電話や議事録を取っていたところから、新しい動きを自分で作り出すほど、たくましさを持つようになったってことですよね。
杉之原:ガイアックスでは「君は何がやりたいのか?」というのが会話のベースにあるから、そこに6年もいれば変化もしていくのかも。そこはすごく訓練してもらったと思っていますし「ないなら作ればいいや」という気持ちや価値観になれたのも一つの変化です。
荒井:丸の内OLを目指していた所から考えると、ギャップがすごいですよね。いろんな選択肢がご自身の中で湧き上がっても、そこから一つ一つ選択されてきたんですね。
杉之原:選択肢が出てきて迷うことがあっても、一生懸命選択をして、その都度そぎ落としてきたと思っています。例えばもう大企業に行きたいとは思いませんが、それは、当時とても一生懸命向き合ったから。
公務員という選択肢が出てきた時は「30代になってもベンチャー的な働き方ができるんだろうか?」と安定志向がよぎったんですけど、この選択とも頑張って向き合って、残るものが残り、あとは自分で作るしかないという感覚になりました。
会社を上場させるため、ミッションに立ち返りながら船を作り上げる
「何が起きても揺るがない部分」を言語化し、経営層を一枚岩にする
荒井:会社を設立し、管理本部も立ち上げながら、アディッシュ上場に向けてどのような動きをされていたんですか?
杉之原:会社を設立してからの1年間は、当時の取締役で月に1回集まって「どまんなか会議」を開催していました。これは会社が何のために存在しているのか、何を売っているのかという「どまんなか」な質問に対して議論するものですが、もともとはガイアックスが企画したイベントで、ひふみ投信の藤野社長がお話されたことをすぐに持ち帰り、今も形を変えて続けてきています。経営層を一枚岩にするための場を設けながら、同じテーマを切り出して「ALL adish MTG(オールアディッシュミーティング)」という全拠点の社員が一堂に会する場でメンバーにもディスカッションしてもらい、会社にとって「何が起きても揺るがない部分」についての議論を進める役割を担っていました。
2015年の終わりくらいからはいよいよ管理本部を立ち上げることになり、2016年の6月からは上場準備も始まって、管理本部が0人だったところからいろいろな人を採用して一人一人オンボーディングさせていき、上場に向けての基盤作りをしました。船の基盤を作って、船が向かっていく方向を微調整するような動きをしていました。
上場というプロセスは、会社のミッションにとっても「筋トレ」だった
荒井:会社を上場させるという経験は、振り返るとどのようなものでしたか?
杉之原:会社を作り、管理本部を立ち上げ、上場を目指すことが同時に来ていたので、上場に耐えられる会社、そして管理本部を作る必要がありました。願わくば、ミッションが体現される制度を作ったり、内側の部分もしっかりやりたい思いが前提にありました。
上場のプロセスは、診断項目が400個くらいある健康診断を受けている感じで、会社を筋トレさせるチャンスでしたね。特に管理本部は最前線で筋トレをするわけですけど、経営陣も「なぜこの会社が存在しているのか?」とか「マーケットにどういうバリューを発揮する会社なのか?」という事をステークホルダーに対して明示しなければならないので、ミッションという意味でも会社として筋トレをする機会になりました。
荒井:想像しただけでクラクラしちゃうぐらい大変そうなプロセスですが、どのようにその大変さを乗り切りましたか?
杉之原:心が折れそうになった時、パソコンのデスクトップにある「ミッションフォルダ」を開くんです。各事業部や会社のミッションがすぐ見られるように置いてあって、それを開いて原点に戻る習慣があります。あとは、期限が決まったら絶対に達成しないと、自分の存在意義が問われると思っているから「決めたことは絶対に達成すべし」という思いは強いですね。
ターゲットが決まったら、諦める理由がないですし、エネルギーが出がちなんですよ(笑)
マッチョなビジネスの世界で「エモーション」と「エンタメ」が私らしさになった
「エモさ」を出すようになったのは、周りの人の影響だった
荒井:決めたら絶対やりきるというマッチョな一面もありながら、時には涙を見せてくれたりエモーショナルな部分もあるのが、杉之原さんの持ち味だと思います。どのようにそのバランスが作られてきたのですか?
杉之原:私は、もともとそんなにエモーションを出す人間ではなかったんです。でも、ガイアックスに入ったら上司が泣きながら状況に体当たりしていたり、江戸も感情を出す人ということもあり、いつの間にか私もそういう人間になってきたんですよね。人に求められる自分を演じ続けるのではなく、自分を出していいんだと教えてもらいました。
もう1つ大切にしているのは、エンタメ要素というか、楽しさは大切にしています。上場準備中はかなりハードでしたが、毎日ひと笑いは絶対に起きるというようなチームでした。
全体を見てちゃんと進めること、湧き上がる感情も取り扱うこと、楽しく進めていくためのエンタメ要素があるとバランスがいいと感じています。仮にエモーションとエンタメの部分を抜いてしまうと、とても苦しいんじゃないかな。
荒井:仕事をしているとついマッチョにならなきゃ!みたいな力学が働きがちだと思うのですが、エモーションやエンタメを大事にしようと思えたきっかけがあったのでしょうか?
杉之原:一本の柱だと自分よりすごい人はたくさんいて、柱が何本かあるとそれがユニークネスや自分らしさになる感覚があります。
私の中にも、感情を見せずに仕事をする感覚がないわけではないんですけど、その中で「こういうミッションを大切にしていましたよね」と原点に戻るような発言ができたり、一見ロジカルではないことを持ち出して発言することで会議がよくなったり、違う意思決定ができるような場面も経験しました。
経営層が男性ばかりという中でなぜ私が重宝されてきたかというと、「ありのままでいること」が今のビジネスのマッチョなピラミッドの中ではユニークネスになるのでは?という仮説がこの1年くらいで立ってきました。
ロジカルな判断だけでは決められないことがあると知った
荒井:「ありのまま」の状態でマッチョのピラミッドの中に突っ込んでいくことって、かなり勇気がいりませんか?
杉之原:最初は正義感から突っ込んでいましたね。忖度するような会議は大嫌いで、裏で文句を言うのはまだいいんですけど本当に苦しんでいる人もいて、どうしてそういった声をテーブルに出さないんだろう?と思っていました。「誰も言わないなら私が言うしかない」という武士的な感じで、その頃はありのままというよりは何かの鎧を被って言っていました。
最近思うのは、最初はエモーションから「こういう事業をやりたい」と始まったものが、途中からとてもロジカルな波に飲み込まれて判断されてきて、最終的に事業を止めるか止めないかとなった時にまたエモーションの部分に戻ってくる感じがするんですよね。最後に「人間の部分」が出てきて、エモーショナルなことに触れないとロジカルな判断だけでは意思決定ができないことに気づいたんです。
経営層もそういう部分が足りていないとわかっているから、たまたま私は女性でしたが、素質を持っている人を引き上げようとしたのかもしれないですね。
第三部のブログはこちら:上場を経験したからこそできる、「身近な社外の女性役員」という役割
インタビュアー:荒井智子
ライター:黒岩麻衣
編集後記
杉之原さんの「目標を定めやり抜く強さ」を支えていたのはミッションや想いなどのエモーショナルな部分だったんですね。
「ありのまま」の状態で仕事をすることは手間がかかるようにも見えますが、振り返ってみればよりバランスがとれたものになるのかもしれないなと思いました。
このインタビュー記事の動画も是非ご覧ください
Vision Notes Episode 2 – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
『「やりたいことがなかった」私が上場ベンチャーの女性役員になるまでの物語』