今回インタビューしたのは本間和弘(ほんま かずひろ)さん。
工学系の大学院へ進み、同期が推薦枠を使ってメーカー系へ就職していく中で、Web系の道を探していたという本間さん。
「就活当時はひねくれていた」と話す本間さんは、なぜファーストキャリアにガイアックスを選んだのでしょうか?また、自身で起業してCTOの肩書きになったことで、ご自身の中に起こった変化や、技術との向き合い方についてもお聞きしました。
本間和弘
2011年、新卒にてガイアックスへ入社。月間1億PVのブログサービスの開発運用、スマホアプリ開発の立ち上げを経て、3年半後にスマートロックロボット「Akerun」を開発、販売する株式会社Photosynthを仲間と共に創業。取締役 / CTO / VPoEを経験後にTech Leadとなる。Photosynth退職後は無人コンビニの企業を経て、現在は新潟に移住しIoTの案件を中心にフリーランスとして活動中。 大学時代は工学系の大学に進み、生物進化論的最適化手法の研究や、ATR研究所にて脳科学の海外論文執筆にも携わる。サークルでは電子工作を含めたメディアアートを作成し、生演奏と連動する映像を用いた演奏会を開催。 AWSでのクラウド構築、Rails、iOS、Androidでの開発に加えてBLE機器の組込み開発を行うIoTエンジニア。 イベントなど数多く参加し、YAPC::Asia / buildersconでの数度の登壇経験や、NASA主催のハッカソン”International Space Apps Challenge”でメインプログラマとして参加し、日本代表となった経験も。
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大企業を選ばなかったのは「自分がやった」と思える仕事がしたかったから
ー 本間さんがファーストキャリアにガイアックスを選択したのはなぜですか?
僕は工学系の大学院へ行っていたんですけど、就職先はメーカー系が多い学校でした。
推薦枠があったので、入りやすいんですよね。
でも僕の場合は、その推薦枠を絶対に使いたくないという謎の志向の違いがあって。
僕が進んだ学科が電気電子情報工学課程というところで、半導体を作る研究室もあれば、モーターなどの電動力的な研究室もあれば、プログラミングをゴリゴリでやっているところもありました。
僕は情報系に進んでプログラミングとかシミュレーションとかをやっていたので、メーカー系ではないなと。
プログラミング系の知識を活かしていきたいと思っていたので、当時はWeb系の企業で探していました。
メーカーに行けばいいものを、Web系に行こうとしていたので、周りと比べたらあまり就職活動はうまくいっていなくて。色々と探していく中でガイアックスに拾ってもらった感じかもしれません(笑)。
ー 何が決め手になったのでしょうか?
当時、逆求人の就活イベントに出ていて、そこで色々な方と話してみて、ガイアックスが良さそうだなと感じてはいました。
決定打が何だったのかをあまり覚えていないんですけど(笑)、大企業に入りたくないという思いはありましたね。
大企業だと人数が多くて、例えばテレビを作るにしても、自分で全部を作れるわけではなくて。
色々なコンポーネントがあって、アンテナの電波をデジタルに変換するところとか、リモコンのメニューを押した時のUIを作る人とか、電源の管理をする人とか、映像をより綺麗にする人とか、色々とあるんですよね。
その中の一つだけを担当して、かつその一つのセクションの中にも何十人もいて、自分はその中の一人ということになります。
ガイアックスには「一人一人がフロント」という雰囲気があったので、「自分がやった」と思える仕事ができるんじゃないかと感じていました。
CTOは技術の最後の砦。ガイアックスで経験したさまざまな仕事が活かされている
ー 入社してからはどのようなお仕事をされていましたか?
企業向けのブログやコミュニティサービスの開発をしていました。
アプリケーション自体の開発と、ミドルウェア以上の構築及び運用をやっていて、その時はPerlというプログラミング言語を使っていましたね。月間1億PVあるブログだったので、かなり負荷が大きくて。
そこではパフォーマンスの面でボトルネックになっている部分を見つけて改善していくようなこともしつつ、マークアップエンジニアから上がってきたHTMLを埋め込んだり、幅広くやらせてもらいました。
また、入社した次の年からは採用にも関わっていて、逆求人で何十人もの人と面談させてもらったり、就職活動中の学生と話して、採用をする側としてのフィードバックをしたり、今でいう競技プログラミングサービスのガイアックス採用版(ブラウザでPerlのプログラミングをして採点までするツール)みたいなものを開発したり。
またガイアックスがYAPC(Yet Another Perl Conference)というイベントのスポンサーをしていたので、僕は企画担当みたいな形で「素数戦争」というコンテンツをやらせてもらったこともあります。
あとは、ITベンチャーというより、受託の業務システム開発のようなこともしていました。
当時のガイアックスはコミュニティサービスのパッケージのようなものを作っていて、作る時には僕もお客様のところに何回も行って対話を重ねて、要件を落とし込んで実装していくことをしていました。
そこでは健康食品を売っている会社のコミュニティサイトを作って、ダイエット日記のような形でその日の体重と食べたものを投稿するアプリを作りました。これはガイアックスで最初のネイティブアプリ開発でしたね。
入社して3年目の終わり頃には、社長直属の新規事業開発室のようなところにいました。
その頃はリーンスタートアップが流行り始めた頃で、MVP(必要最低限の機能だけを搭載した製品)を作ってユーザーに持っていき、インタビューしてフィードバックをもらって、改善していくというサイクルを回してPMF(プロダクトマーケットフィット)して、グロースするという流れを実際にやってみようとなって。
それまではPerlとかでやっていたんですけど、チームのメンバーがRails系が得意な人が多かったので、Ruby on Railsに切り替えて、AWSとRuby on Rails、あとEC2とかを使って構築して、MVPを作っていました。
当時はCtoCやマッチングのアプリが流行っていて、「シニアモード」という、シニア世代と企業とのマッチングサービスを作りました。
Webの知識は検索したら出てくるし、なんならドキュメントもそのまま公開されているんですけど、ハードウェアの知識って公開されていないんですよね。メーカーの中で何十年と受け継がれてきているものがあるのに、人が退職すると知識も失われていくのがもったいないなって。
僕たちが起業した後には、「シニアモード」で応募があった人をアドバイザーとして採用させてもらったんですよ。
80歳くらいのおじいちゃんなんですけど、大手メーカーでテレビを作っていたエンジニアで、NHKに初めてのカラーモニターを開発して卸した人なのだそうです。電気回路のアドバイザーとして入っていただいて、今も手伝っていただいています。
ー ガイアックスにいた3年間でもさまざまなことをやっていたんですね。現在はフリーランスとしてもお仕事をされていますが、ファーストキャリアをガイアックスにしたことで、よかったこと思うことはありますか?
受託開発の業務の際に「お客さんと話す」ことに関して、当時は必要ないかなと思っていたけど、起業してから役に立ちました。
お客さんと話すことは、他社の御用聞きみたいであまりベンチャーっぽくないというか、思い描いていたものと若干違う感覚はありました。でも、それを全くやっていない状態で起業していたら、CTOとして対外交渉をする時に怖気づいていたかもしれません。
例えば、「こういうのできないの?」と言われた時に、「確認しておきます」と少し弱気に言うのってありがちかなと思うんです。その場で返答できないと相手に押されてしまって、要望を聞きすぎて結果的に全然良いものにならないことにもなってしまう。
自社の強みが活かされたまま、お客さんにとっても良いものをその場で紡ぎ出していくというのはガイアックス時代に経験できていてよかったと思いますね。
また、技術的な面で幅広く経験できたのがよかったと思います。
サーバーサイドやAWSにも触ったり、パフォーマンスに問題や障害があった時のリカバリー対応やネイティブアプリの実装は後に活きていますね。
自分がCTOになると、自分が技術の最後の砦になるので、何か問題があった時に他のエンジニアだと対応できないことも自分が最終的に粘って解決することも多くて。ガイアックスの時に障害対応や深夜メンテナンスをやっていたので、そこで身についた瞬発力や問題把握能力はそのまま活かされました。
「CTOは苦しさが9割?」それでも経験する価値はある
ー CTOという肩書きになったことで、ご自身の中で変化したことはありますか?
僕は実装自体をやりたい人だったので、CTOになった後も、新しい大きな機能開発において簡単なプロトタイプを作ったり、全体のアーキテクチャーの設計をしてはいました。
ゴリゴリとプログラミングをしたい気持ちはあるけど、それよりも重要なことがたくさんあるので、会社にとって必要な他のタスクをやっていく流れになりましたね。
気持ちはあったんですけど、大事なのは会社の成長という感じで必然的にプログラミングの優先順位が下がっていきました。
CTOは楽しさが1だとしたら苦しさが9、もしくは、楽しさが0.1で苦しさ9.9だとしても、やった方がいいなと思っていて。
駆け出しのエンジニアからするとCTOは最終ゴールのような雰囲気があるのかなと思うんですけど、ベンチャーを起業して初期の段階でCTOになるケースも多いので、実はCTOになることは完全にはじめの一歩なんですよね。
CTOになるのはプロダクトを生み出してちゃんとPMFさせて、さらにグロースさせていく前の段階のケースが多いと思うので、産みの苦しみ、成長の苦しみの方が多い。ですが、苦しくてもとてもやりがいはありますし、最高責任者として苦しい状況に遭遇するのは、今後の自身の成長にも繋がりますし、僕としてはむしろ歓迎していました。
では数少ない楽しみの部分が何かというと、CTOという肩書きを得たことで、CTOレイヤーの人と話しやすくなるという点があります。
自分が何も肩書きがないエンジニアだった時は、CTOの人に気軽に話しかけられない空気を感じていて。でもCTOになると、CTOの人が集まる機会もあるし、そういう場所に行くと自分よりも年下のCTOもいる。社長兼CTOという人もいて、同時に超大手ベンチャーでエンジニアを何百人もマネジメントしているようなCTOもいて、幅広い人に会えるんです。
みんな「CTOだから」ということで一緒のテーブルに座れるんですけど、そういう会に行っていろんな人の話を聞けるのは楽しかったですね。
ー CTOになると経営的な部分に目線を向ける比重が大きくなると思いますが、その分技術的な理解が必要になったり、新たにインプットを重ねていかなければいけないこともあると思います。どのように技術と向き合っていましたか?
情報収集は欠かさずやっていました。
常に新しいフレームワークや開発手法をチェックしたり、それが社内で適用できるかどうかの判断はしていましたね。
ただ、会社の年数が経過していくと、当初に選定した技術がボトルネックになることがあるんですよね。
例えば最初にEC2+MySQL+Railsみたいな構成で作ってしまうと、流行りのサーバーレスに急に乗り換えられるかというと、ほぼ「ノー」という感じ。そういった場合、完全に新規で独立している部分に対し、”フロント”ではReactやVueを使ってみたり、”バンクエンド”ではGoを使ったりしています。
コアになっている部分を乗り換えさせるのは、かなりコストがかかるのであまりできないんですけど、新規の独立している部分に対して、キャッチアップとして新しい技術を選定して使っていました。
ー エンジニアとして働いていきたいと思っている学生に対して、アドバイスをお願いします。
僕みたいなタイプの人に対してアドバイスするなら、「鶏口牛後(けいこうぎゅうご)」ですかね。
牛の尻尾になるなら鶏の頭のほうがいい、つまり、大きな集団の末端にいるよりも小さな集団の先頭に立つことを重んじるべきという意味の諺です。
生きていると人生がランキング勝負になることがあって。例えば競技プログラミングのサイトがあって、その中にはプログラミング上級者がいて、登録してみると自分が底辺にいると感じるんです。
そうなると、その世界では底辺プログラマーとしてしばらく生きるということになります。
でも、誰もやったことのない新しい領域で開発をしていくと、そこではトッププログラマーになるんですよ。
そういう選択をしていくと、「自分がやった」と思える仕事がたくさんできます。あと疲れないで済むというか…(笑)。
飲み会とかでも、ガイアックスに入りたての意識の高い自分は、どんなサービスをユーザーが使うかを話したかったんですよ。でも、メーカー系の同期はボーナスの金額の話とかになってしまう。
それがいいという人はいいんですけど、それで満足できないタイプなのであれば大企業には行かず、鶏口牛後、鶏の頭になれるようなところを探したほうがいいかもしれませんね。
ー ありがとうございました!
構成:田中嶺吾
インタビュー:西山凌太
ライティング:黒岩麻衣
編集:遠藤桂視子
インタビューの中で本間さんは、「2〜3年のサイクルで新しいことをするのが当たり前という感覚になっている」とお話されていました。現在はフリーランスとして活動されている本間さんが、この先にどんな挑戦をしていくのか、目が離せません!