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「やりたいことがなかった」私が、上場ベンチャーの女性役員になるまでのファーストキャリア – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子

最終更新: 2023年9月6日

「あなたのミッション、やりたいこと何ですか?」
ガイアックスでは当たり前のように、日常的に問われる質問。でも、自分のミッションと言われて、困る人も当然います。今回お話を伺った、元ガイアックス社員であり、現アディッシュ株式会社取締役の杉之原明子(すぎのはら あきこ)さんも元々は「やりたいことなんてなかった」と言います。
「学生時代は普通に丸の内OLになることを目指していました」と言いながらも、ガイアックスに入社してから新規事業立ち上げ、所属部署の子会社化、取締役として会社を上場させる経験をしてきた杉之原さんに、今までのキャリアについてお話を伺いました。
インタビューしたのはガイアックスの荒井智子さん。2013年頃、同じ部署に所属していた二人が、当時の様子を振り返りながらお話を進めていきます。

仕事が作れなくて困っていた私も、コツコツと自分らしい仕事のスタイルを見つけていった

就活がうまくいかなくて、どん底にいた時にガイアックスに出会った

荒井:まずは自己紹介からお願いいたします。
杉之原:アディッシュ株式会社の杉之原と申します。2014年10月1日に会社を設立し、取締役に就任しています。
私自身は2008年6月にインターンとしてガイアックスに入社し、当時の新規事業であった学校非公式サイト対策「スクールガーディアン」事業に営業として配属されました。
その後就職活動をする中でガイアックスの最終面接を受けて、2010年に新卒でガイアックスに入社しました。新卒で入社後も、4年間スクールガーディアン事業に携わり責任者を経て、2014年にガイアックスからスクールガーディアン事業、モニタリング事業、カスタマーサポート事業の3つの事業を持って、アディッシュ株式会社として分社化しました。
荒井:杉之原さんとガイアックスはどのように出会ったのでしょうか?
杉之原:ガイアックスとは、私が大学を留年したことをきっかけに出会いました。
私は「きちんと勉強していい大学に入って、いい企業=大企業に入って一生働くべし!」という教育を受けてきました。もともと勉強はあまり好きではなく、大学に入ってもアルバイトやサークルに全力を捧げていて、大学は省エネで卒業できたらいいなと思っていたんです。それがいろいろなミスが重なって、単位は取れているのに卒業できないという事態になり、大学を休学してすでに取れている単位を取り直すという状況に陥っていました。
もう1つは、当時大学3年生だったので就職活動をしていたのですが、それがあまりうまくいっていなかった。そんな時に留年してしまい、私の人生の中ではいきなり谷に落ちた状況でした。どうやって這い上がればいいかわからないし、また同じように1年間を過ごしても就職活動はうまくいかないだろうという思いからインターンを探して、紹介してもらったのがガイアックスでした。
荒井:就職活動がうまくいっていなかったのは、どうしてですか?
杉之原:私は「とにかく大企業に行きたい、丸の内 OL になりたい」と思っていて、逆にそれ以外に何もなかったんです。全ての業界のトップ3を受け続けるという就職活動をしていました。面接で「あなたはこの会社で何をやりたいですか?」と聞かれても「えっ、そういう質問する?」と思っていました。
荒井:就活スタイルをガラッと変えるために、ベンチャー企業でインターンをやり始めたんですね。
杉之原:インターンというものをよくわかっていなくて、採用された後に、社員と同じように働くということにびっくりしました。起業もよくわからないし、ピッチコンテストという単語もガイアックスに入って初めて知ったし、学生団体ってなんだ?みたいな。本当に真っ白でした。

待っていても、仕事がない・・・電話を取ること、議事録を取ることが当時の私の全てだった

荒井:ガイアックスに集う人は学生団体を立ち上げた経験があったり、サークルでもリーダーをしていたり、ビジネスコンテストに出ているような人が当時から多かったと思いますが、その中では異端とも見える杉之原さんはどうしてガイアックスと縁が繋がったのでしょうか?
杉之原:1つだけ、インターンの面接の中で印象的だった質問があります。「あなたの強みはなんですか?」という内容でしたが、就活もうまくいかないし留年もしている状況だったので「強みはわかりません。ただ、毎日コツコツと続けることができます」と答えました。
それが今のアディッシュの代表である江戸の中の何かと照らし合わされた時に、「コツコツと続ける」という力が強みに感じられて採用に至ったのかなと思います。
荒井:実際にインターン入社してからは何を担当し、どんな変化がありましたか?
杉之原:「自分は本当に仕事ができないんだな」と打ちのめされる日々でした。インターンだろうが社員だろうが自分で行動して自分で仕事を作っていきなさいという環境でした。
当時の上長はスクールガーディアン事業を立ち上げた人で、その女性の上長も別の商材を売っていたので、9時から18〜19時までは外に営業に出ていました。会社に戻って来て、その後の時間でスクールガーディアンを立ち上げていたんです。だから仕事を教えてもらうのも19〜20時以降。日中はほとんど一人で過ごしているという中、私には仕事がないんだなと激しく気づかされたのが始まりでした。
自分が一番できそうなことが「電話を取る」ということで、電話を取っていろいろな人に繋げることに使命を燃やしていました。小さいことですが、電話を取ったり議事録を取る仕事が当時の私にとっては全てだったので、コツコツとやりながら少しずつ外に出て行き、営業として独り立ちするプロセスを歩んでいきました。

ようやく自分らしいスタイルを見つけ、少しずつ仕事を楽しめるようになった

荒井:コツコツと電話を取ったり議事録をビシッと書くという仕事を積み重ねて、少しずつ仕事は軌道に乗っていたんですか?
杉之原:そうですね。でも半年目くらいに「テレアポがつらすぎる」ということになりまして。スクールガーディアンを立ち上げた当時はスマホなんてないですし、インターネット上で起きている問題は、あくまでもインターネットで起きている問題であって、学校の課題としては認知されていませんでした。そういう時代背景だったので、テレアポをしたところで用語も通じず、学校の受付を突破できないという日々を過ごしていて「もう辞めたい」と思っていました。
そんな時に同じ部署にいた営業の男性が「テレアポができないなら別のやり方を考えればいいんだよ」という一言をくれたんです。先生たちがインターネットの世界で何が起きているかをご存じないのであれば、まず勉強会を開いて、そういう場で登壇させてもらうという方向に少しずつ舵を切り、来ていただいた学校にアポイントを取るというやり方にしました。インターンを始めて1年後くらいでようやく、あまり自分がメンタルを削らなくても済むサイクルを見つけられて、営業という役割の楽しみを感じることができるようになりました。
いろんな所で「すでに優秀な人」を求める傾向があると思うんですけど、そこからすると私は訓練しないと何事もできるようにならないので、けっこう時間がかかってしまう。ただ時間をかけた後はキチンと走っていくので、今でも何か新しく始めるときに1年くらいはかかるだろうと見越していて、いい意味で自分に期待はしていないんです。

akiko.suginohara

女性であることを痛感した2度目の就活で、30歳までに事業責任者になる目標を立てた

女性であることを意識した2度目の就活での変化

荒井:少しずつ仕事が軌道にのる中で、2度目の就活が始まったんですよね?
杉之原:インターンの期間は2年弱で、仕事が楽しくなってきたあたりから2度目の就活も始まり、他の会社も見ながらガイアックスも受けました。
刷り込みというのはすごいもので(笑)、また大手企業を受けるんですけど、前の年にほとんどの業界のトップ3を受けているから、興味のないところは断捨離された状態で大企業と若干のベンチャー企業を受けました。
荒井:いろいろな企業を見た上でガイアックスを選んだのはどうしてですか?
杉之原 :まず1つは、ガイアックスで一緒に事業を立ち上げてきた人たちの熱にやられました。売り上げもない状態で起きている課題に思いを馳せて議論をして、お客様と対話して事業を作っていく、一連のプロセスの熱さを知ってしまったんです。業務分掌がはっきりしていて、その範囲内でしか仕事をしないような会社の話は、ピンとこなくなっていました。
2つ目は、インターン中にいろいろなアポに同席させてもらったのですが、大手の会社にも行く機会がありました。そこで、業務提携などの話になると、アポイントの相手が30代以上の男性いう光景を多く目にしたんです。就活でいろいろな話を聞いたとしても、実際に仕事を任されるのが30代以上の男性であるという実状を見ていたので、2回目の就活では自分が女性であるということを強烈に感じていました。
3つ目は、自分が女性であることを思ったときに子どもを生む可能性もあるし、キャリアが一直線ではないと突然気づいたんです。それなら30歳までに事業を立ち上げて、事業責任者として自分が見れる範囲を広げたくて、再出発するならできるようにしておきたいと思ったんです。最終的に、30歳までに事業部長になれそうなのはガイアックスなのでは?と考えて選んだ経緯がありました。

憧れの人とは違うスタイルで、「自分なりのリーダー像」を描く

憧れの上司が突然の退職・・・自分で自分の人事を決めることに

荒井:インターン生として、スクールガーディアン立ち上げの時期から事業作りに関わり、そこから事業リーダーになったのは入社して何年目ですか?
杉之原:正式になったのはちょうど3年目ですね。2011年に東日本大震災が起きていろんな人の価値観が変わっていく中で、一緒に事業を立ち上げてきた憧れの女性の上司も、東京を離れて違う道を歩むという決断をされました。
彼女と働きたくて会社に入ったのに、新卒1〜2年目に一緒に働けなくなるっていうのがわかって…この先一体どうするんだと困惑しましたね。
荒井:憧れの上司の方がいなくなり、そのポジションが空くこととになったんですね?
杉之原:立ち上げた人がいなくなるだなんて、この事業はどうなってしまうんだろうと思っていたところ、江戸に呼び出されました。私が事業リーダーをやるか、自分の上司となる責任者を自分で採用するか、「自分の人事を来週までに決めてください」と言われたのが新卒2年目の終わりでした。決断にはかなり苦労したのですが、いくつかのターニングポイントを自分の中で思い返しました。

ミッションが降ってこなくても、みんなで作ればいい

1つ目は、新卒1年目で、初めてチームを持った経験をした時のこと。
今もそうですが、当時、スクールガーディアン事業部の運用チームは福岡センターにありました。他の主力事業部の運用チームと比較すると小さいチームで、福岡センター内でスクールガーディアン事業の運用チームのケアまでできないという状況になり、チームが壊れてしまったんです。
運用部から応援要請を受けた時に、その課題に興味を持ちました。そして、営業部で追っている数字目標はそのままで(笑)、運用部のチームリーダーの仕事も追加で始めることになりました。
当時、運用チームのメンバーは、日々の仕事に意義が見出せない状態に陥っていました。
東京では事業の価値について何度もお客様にプレゼンしていたのに、足元のメンバーにそれが伝わっていなかったんです。「言葉にしないと伝わらないんだ」と初めて気づき、福岡に滞在してメンバーに事業の意義を伝えると、そこで運用メンバーから新しい視点や提案が出てくるようなコミュニケーションが図れるようになりました。その時にチーム作りについてや、ミッションをもとに会話をすれば事業がよくなっていくという感覚を味わったんです。
2つ目は、私が事業リーダーに就任する直前に開催したスクールガーディアン未来会議の時のこと。スクールガーディアン事業に在籍はしていないけど教育に興味を持っている方々と共に、事業のミッションをアップデートする、という会議を上司と二人で企画しました。部署を横断した会議で、ガイアックスの上田社長も参加してくださっていました。
私はそれまで、ミッションは降りてくるものだと思っていたんです。例えば病気の親の命を救えなかった人が医者を目指すとか、そういう人生のきっかけがあってミッションが降りてくるのかなって。私にはそういうミッションがないから、ミッションドリブンなリーダーは務まらないと思っていました。でも、会議を開いてミッションのアップデートをしていく中で、自分が作らなくても、いろんな人たちと共創すればミッションが作れることを最後に上司に教わりました。ミッションは事業部のみんなで作ればいいと気がついたんです。
これらの経験の中で、少しずつ事業リーダーになる気持ちを固めていましたが、それでもやっぱり前任者である憧れの上司のプレッシャーは感じていました。
そんな中で、その時に言ってもらった運用チームメンバーからの言葉にとても救われたんです。
当時は私の直属の上司だけでなく、他の営業・運用・開発の社員にも退職者が多く出たタイミングでした。運用のアルバイトメンバー以外は、私がリーダーになってから採用された人たちだったので、幸いにも前任者を知らない状態でした。一緒に頑張ってくれた社員に「私は前任者じゃなくて、あなたに付いていっているんですよ」という言葉をもらって・・・。事業の半分は前任者である上司が作り上げたものだけど、もう半分はメンバーと一緒に作り上げたものだ、と気がつきました。一緒に働くメンバーに、リーダーとして育ててもらった感覚がありますね。

第二部のブログはこちら:悩んで、向き合い続けたからこそ切り開けた、上場ベンチャーの女性役員というキャリアアディッシュ株式会社取締役 杉之原明子

第三部のブログはこちら:上場を経験したからこそできる、「身近な社外の女性役員」という役割 – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子

インタビュアー:荒井智子
ライター:黒岩麻衣

編集後記

「コツコツと続けること」は一見地味ですが、積み重ねることによって着実に自分の道ができていくのですね。千里の道も一歩からということを、杉之原さんのお話を伺って強く感じました。次回もお楽しみに!

このインタビュー記事の動画も是非ご覧ください



Vision Notes Episode 2 – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
『「やりたいことがなかった」私が上場ベンチャーの女性役員になるまでの物語』

投資先経営者
1. 「やりたいことがなかった」私が、上場ベンチャーの女性役員になるまでのファーストキャリア – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
2. 悩んで、向き合い続けたからこそ切り開けた、上場ベンチャーの女性役員というキャリア – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
3. 上場を経験したからこそできる、「身近な社外の女性役員」という役割 – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
4. 研究者の道を捨てた僕は、カオス真っ只中のベンチャーで自分の道を切り拓いてきた – アディッシュ株式会社代表取締役 江戸浩樹
5. 「関係の質が成果の質を生む」仕事は人生の大事な一部だから、人と向き合い、チームを大切にする – アディッシュ株式会社代表取締役 江戸浩樹
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7. 27歳で取締役としてベンチャー企業の上場を経験して見えた景色 – アディッシュ株式会社取締役 松田光希
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9. 人間は、人間らしく働こう。 情熱を持って“自分の”ど真ん中を走り続ける – 株式会社Tokyo Otaku Mode 代表取締役社長 小高 奈皇光
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杉之原 明子
2008年に株式会社ガイアックスにインターンとして入社。学校非公式対策サービス「スクールガーディアン」事業の立ち上げを経て、2014年、アディッシュ株式会社設立及び取締役に就任。管理本部の立ち上げ及び上場準備を担う。2020年3月東証マザーズ上場。 特定非営利活動法人みんなのコードCOO。スローガン株式会社社外取締役。株式会社Kaizen Platform社外取締役。スポンサーシップ・コミュニティ代表発起人。
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