Gaiaxは、フリー・フラット・オープンの精神を大切にしています。
そして、そこには様々なライフスタイルを持ち、さまざまなことをしている人々がいます。石川潤さんは、adishや複数にわたる現在上場している企業の海外事業・会社の立ち上げに関わってこられた方です。
「お金を稼ぐために生きる」ということに疑問を持ち、「幸せに生きること」を追求するため、現在島根県の隠岐諸島である海士町にお子さんとパートナーのさやかさんとお住まいです。
ガイアックスの事業に関わり合いながら、潤さんが求める幸せのあり方を日記のようにブログ公開している「石川潤の幸せな生き方へのフォーカス旅日記シリーズ」、ご覧ください!
※本シリーズの前回のブログはこちらからご覧いただけます
7月の休暇後、8月のモヤモヤ期を過ごし、この9月、ようやく再スタート時における「やさしい生活づくり」の具体的な全体像がまとまりました。今回のブログでは、その全体像の紹介とここ最近の進捗、また、前回気づきがあった“楽しむことが大切”だということを実行するも、時折この「やさしい生活づくり」そのものに意義があるのかと迷ったり・・・。そんな狭間で揺れる自分をインタビューしてもらいました。
自然にやさしく、自分も楽しく
9月1日からの「自然にやさしい生活づくり」のゴール(9月一杯)
A. 自分の身体から出る排泄物が自然の循環にのる
B. 自然の循環に乗る形での塩
C. 自然の循環に乗る形でのお酒
香庄:今日のインタビューでは、この9月から取り組んでいる具体的な内容が聞けるということなので楽しみにしてました。
潤:はい。まずは「自然にやさしい生活づくり」についてお話したいと思います。
香庄:お願いします。
潤:8月、「自然にやさしい」に対して、二の足を踏んでなかなかプロジェクトが進められないということが起こり、知人にも相談したりした中で、“やっぱり「楽しい」って重要だよね”と思った、ということを前回のインタビューでお話しました。結果、「自然にやさしい」という条件だけでなくて、「楽しい」という条件にも当てはまることをまずはリストアップし、その中から選んだ3つが上のリストです。
香庄:楽しそうな3つですね。
潤:この3つを選んだ理由としては、「楽しい」という条件と、僕が生活の中で重要だと思っていて、かつ、自然の循環にのっていると実感できるものであることが大きいです。進め方としては、これらを上から順にやっていこうと思っていて、今はAを進めているところです。始まって1週間くらいが経ちました。
香庄:1週間やってみてどうですか?
潤:具体的にどんなことをしているのかというと、従来のトイレの使用をやめ、自分が排泄した尿と便をわけて自然の循環に乗せています。まずは簡単な尿についてから説明すると、尿は分解されるとアンモニアになり臭いが発生するんですが、水で薄めると大丈夫なので、4倍に薄めて畑に肥料として撒いています。
香庄:いやいや。口でいうのは簡単ですが、実際に実行するとなると大変なので、まずは率直にすごいなと思いました。
潤:1週間経ってみて今考えていることは、水に薄めてただ畑に撒くだけではなく、尿に含まれる成分を理解した上で、それぞれの野菜の生育に応じて撒くことができないかと考えています。尿にはカリや窒素という成分が含まれているので、例えば、カルシウムが必要な植物に尿を撒いても、その植物の生育には役立たないわけです。また、現在は有機物の米ぬかと油かすの分解がある程度進んだ「ぼかし肥料」というものを使っているんですが、これと尿の成分は違うと思うので、それらを理解して、タイミングよく必要なところに必要なものを撒いていければと思っています。
香庄:本格的ですね。
潤:ただ、検討はしていくものの、有益に使えているのかどうかという点については、自然の循環にのっているかよりも優先順位は下なので、基本的には尿についてはこれでいいかなあとは思っています。排泄物をトイレに流さない、つまり下水に流さない。僕は下水そのものは自然の循環にのっている仕組みではないと考えてるので、その仕組みを使用していないということからも、この取り組みはいいなあって思っています。
香庄:便についてはどうですか?
潤:今のところ便は一定の場所に溜めている状態です。検討している活用法としては、発酵させて堆肥として使用するのが、一番近い現実味を帯びたやり方ではないかと思っています。ある本にコーヒーかすを豚の糞に混ぜて肥料にするという事例が紹介されていたのを読んだので、それを便でもやってみようかと。今は家から出るコーヒーかすは畑の一部として直接混ぜているのですが、それを便に混ぜて肥料にできないかなあと考えています。
香庄:いろいろな方法があるんですね。
潤:さらにですが、できればやりたいのは、ガスにできないかなあって。例えば、ルワンダの学校や刑務所では、便を利用して、調理に使うエネルギーの60%をまかなっている事例があるんです。他にも、イギリスの電車においては、生ごみと人糞から出るメタンガスで動かしているという事例なんかもあります。
香庄:すごいですね。もし自家用車が自宅から出る排泄物や生ごみで動いたら画期的だなあ。
潤:そうですね。ただ、これには何千、何万人という人の便が必要なので、僕一人分だとメタンガスになる量にはなりません。なので、プラスアルファでそのような観点も念頭には置いておいて、実験みたいなかたちでも小さくできないかなあと思っています。堆肥に変えるだけでは、当たり前という感じなんで電気も作れないかなあって。
香庄:便が堆肥になって完全に循環できるだけでも十分にすごいです。
潤:あとやっていて感じることは、人目を気にせずやれる場所があればなあって思います。こうやって取り組んでいる僕でも、便は人が触らないもの、汚いものって感じているので・・・。そんな自分も見ていても、生きる中でそういう常識を信じて生きているんだなとあって感じます。
休暇後、再スタート時における「やさしい生活」の全体像
「やさしい生活」の全体像
1. 他人にやさしい
a. 実践を毎日1つ重点分野を決めて行う
ⅰ. 重点分野の例
1. 幸せを願う
2. 無判断で受けてみる
3. 相手のWINを知る
b. 朝の実践内容のセット、SIYの人たちへの共有から1日スタート
2. 石川潤にやさしい
a. 1日2時間の空白時間をとる
3. 自然にやさしい
a. 自然の循環にのるアイデアを順番に実現する
ⅰ. A ,B,Cという順番でする
ⅱ. 一つ目の完成が見えたら、次の動きをとる
b. 指標作りは、知人の専門家が一緒にしたいと思ってもらえるなら行う
4. 何に時間を使っているかを以下の括りで測定していく
a. 自然の循環にのる
b. 空白→実際どう使ったのか
c. 他人にやさしい実践内容のセット
d. 畑
潤:これが「やさしい生活」の全体像をまとめたものです。今話したのが、「3-a自然の循環にのるアイデアを順番に実現する」という項目です。3-bの循環がどれだけできているのかの指標づくりについては、知人の専門家が一緒にしたいと思ってくれるならやろうかと考えています。一緒にできるならば楽しそうだなあと感じたので、そうでなければ一人ではやらずに、実践の方を優先してやっていこうと思います。
香庄:ここにも「楽しい」かどうかが適用されていていいなと思いました。
潤:「他人にやさしい」については、7月の休暇の時に学んでいたことで、“幸せを願う”、“無判断で受けてみる”、“相手がどんなことをすれば長期的な幸せにつながるのかを知る”の、この3つくらいが重点分野かと考えています。特別なことをしなくても、この3つくらいを生活の中に、自分のあり方として持っていることができれば、「他人にやさしい」という定義としては十分かなと思っています。
香庄:「無判断で受けてみる」が付け加わりましたが、あとの2つは以前からと同じものですね。
潤:そうですね。でも、これまでの振り返りの中で習慣づいていなかったことがわかっているので、「相手の長期的な幸せを願う」というところについては少し定義を変えています。以前は“アクションを起こす”というところまでを含めていましたが、“知る”というところまでで留めておいていいかなあと思っています。
香庄:以前にアクションまでということでやり辛さを感じているので、ハードルを下げてやり易くしたいとお話されていましたね。
潤:そうです、そのことを反映したかたちです。3つ目の「僕にやさしい」については、空白の時間をとることを意識的にやっています。きちきちにスジュールを入れるのではなく、1日2時間は何をしてもいいというように空白にしておいて、やりたいことが畑に行くだったらそれをしてもいいし、本を読んでもいいし、そんな時間をとるようにしています。
香庄:潤さんはいつもフルスロットルになりがちなので、空白の時間が意識的にとれればいいなあと私も感じています。
潤:最後に書いているのは、どれにどれくらいの時間を使っているのかを計測していくというものです。これについては先日決めたばかりなので、今からする感じですね。
「やさしい生活づくり」を楽しむ自分と迷う自分、その狭間で
香庄:これまでの中で一番、全体像もシンプルでわかりやすく、潤さんが楽しみながら進んでいきそうな感じがしましたし、具体的に聞かせてもらった「自然にやさしい」についての進捗においても、循環にのった生活に向かっているなあという感じがとてもしました。
潤:ありがとうございます。あの・・・、ここまで話しておきながら何なんですが、実はモヤモヤしていることもありまして。
香庄:そうなんですか。
潤:はい。さっきお伝えしたように全体像は決めたので、これをこのままやり続けることでいいなあと思いつつも、ときどき、こんなんで本当にいいのかなあって思うことがあるんですね。2日に1回くらいのペースで。
香庄:もう少し詳しく聞いてもいいですか。
潤:はい。1つこの引き金になっていることに、最近参考にしようと読んでいる本があります。それは「無銭経済宣言」という本なのですが、お金が様々な問題を助長しているということで、お金を使わないで生きていくための具体的な方法、例えば、植物の育て方や食糧調達などが書かれているんですね。もちろん著者自身はそれを実行しているので、すごいなあと思ったり、もう1冊は「壊れた世界で’グッドライフ”を探して」という本で、こちらでは“社会を変えるんだ!”みたいな人が紹介されているんですが、本気度が伝わってくるというか、これもすごいなあって。
それに比べて僕自身は、簡単に言ってしまえば、自分の幸せという切り口から、だから自然にやさしい生活をするんだ、でも自然にやさしい生活をすることが大変だから、まずは楽しいことをやろうってなわけで、こんなアプローチでいいのかって思ってしまうんですね。僕のやり方は、その場しのぎで本質的ではないのではないか、本当にこのやり方で意味があるんだっけみたいな・・・。
香庄:「無銭経済宣言」は読んではないですが、著者であるマーク・ボイルさんの他の本「ぼくはお金を使わずに生きることにした」は読みました。僕にはとても真似できませんが、確かにすごかったですね。
潤:はい。今、取り組み自体を継続するために、楽しいことからやろうというのは効果的だとは思う一方で、このまま進んでいっても当初目指していたような8割にはならないんじゃないかなあって思ってしまったり、三方にやさしいことがいいことには違いないけれども、そもそも意義があるのか。あるいは「人にやさしい」に書かれていることは、普通に生活していても、習慣的にやっていくことなのでいいんですが、「自然にやさしい」を進めていくと生活自体が変わっていくけれど、変えてまでやりたいのかなあって。
香庄:それは根本的な問いですね。
潤:例えば目の前に自分の好きなチーズがあって、海士町に海外から輸送されてきている時点で自然にやさしくはないけれども、手軽だしそれでもいいんじゃないかって思う自分もいて・・・。そんな自分もいることを感じたときに、ジレンマではないけれども、本当はやりたくないんじゃないかって思うんですね。
香庄:潤さんは「0か1か」という考え方で、その間がないんですね。
潤:そうですね。シンプルにしたいというか、割り切って考えたいんでしょうね。“やれることだけちょっとやりました”っていうのは違うと思っているんでしょうね。
香庄:確かにマーク・ボイルさんのやり方は、ある意味0を1に振り切った方法だとは思いますが、世の中のみんながあのようにできるのかと言えば、到底できないと思うんですね。そうしたときに、潤さんがよく話してくれる意義があるかないかという点で考えれば、0でもなく1でもないその間、多くの人が実行できるようなポイントを考える方が、社会的には余程意義があるともいえるかもしれないとは思いました。
潤:なるほど。
香庄:「0か1か」という考え方は、考える方法としてはシンプルで簡単です。例えば、何かをやめるときは、すべてやめればいいだけですから。ただし、先月の「(仮)空き家プロジェクト」で、潤さんが“二の足を踏んで体が動かないなあ”と体感したように、アクションとしては途轍もなくハードルが高くなります。
そう考えると、0から1は無理だけれども、潤さんが話してくれた4割、つまり0.4というのはいいのかもしれないと思うんですね。意義があるかもしれないなあと。ただ、こちらはさっきとは逆で、それをどこに設定するのかを考えることが難しいわけです。多くの人が実践できて、自然にもちゃんとやさしいポイントを見つけないといけないわけですから。
潤:なるほど。
香庄:そう考えれば、今の潤さんの取り組みは、僕の中では0から1ではなくても、0.1とか0.2ずつ進んでいるように見えますし、意義のあることに繋がるのではないかと思うんですね。もちろん潤さんの目指す方向がマーク・ボイルさんのような状態であるのであれば別ですが・・・。
潤:自分がワクワクすることから始めるということは、いいかなあと思うんです。そして、その歩みにも意義があると思うし、だからこれは続けていく。と同時に、これって本当にやりたいことなんだろうかってことは、まだ結論は出ていなくて、この問いは持ち続けていこうかなあって思いました。
香庄:潤さんにとってはモヤモヤして嫌かもしれませんが、このプロジェクトにとって、その問いは持ち続けることに意味や意義があるようにも思いました。
潤:と話ながらも、これは気にしなくていいのかなって思うときもあるんですけどね(笑)
香庄:(笑)