Gaiaxは、フリー・フラット・オープンの精神を大切にしています。
そして、そこには様々なライフスタイルを持ち、さまざまなことをしている人々がいます。石川潤さんは、adishや複数にわたる現在上場している企業の海外事業・会社の立ち上げに関わってこられた方です。
「お金を稼ぐために生きる」ということに疑問を持ち、「幸せに生きること」を追求するため、現在島根県の隠岐諸島である海士町にお子さんとパートナーのさやかさんとお住まいです。
ガイアックスの事業に関わり合いながら、潤さんが求める幸せのあり方を日記のようにブログ公開している「幸せのあり方シリーズ」、ご覧ください!
※本シリーズの前回のブログはこちらからご覧いただけます
旅行をしたいけどしたくない
ガイアックスの出張でアフリカ・ルワンダに行くことが決まり、うれしい反面、ちょっとしたもやもやがありそれを表現したくこのテーマでポストを書きます。それは、当然のことながら、アフリカへ行くためには長距離の飛行機による移動が欠かせません。今日は、そんな長距離移動で抱いてしまう私の葛藤を、前回のブログよりインタビューを担当してくれているけんちゃんと記録係のみずもさんに聞いてもらいました。
飛行機に乗るだけでエネルギーやゴミへの葛藤がついてくる
香庄:今回は、前回のような海士町での生活モデル探求についてではなく、近々行くことになっているガイアックスのルワンダ出張の際に、飛行機に乗ることへの潤さんの葛藤みたいものを聞かせてくれるということでしたね。
潤:はい、そうなんです。生活モデル探求のお話をする中で、「自然にやさしい」ということを大事にしたいということはすでにお伝えしているので、すでにお察しかもしれませんが、飛行機に乗る際の移動にかかる燃料であったり、機内での使い捨てのゴミだったりに対しては、生活モデルの探求とは別にまだ具体的に考えることができていないので、今は自分に受け入れがたい形のまま、それの仕組みにのっかるしかないということに葛藤があります。
香庄:僕も今日のテーマを聞いた時に少し想像をしていました。
潤:この写真を見てください。これは以前に僕が機内で食べたものなんですけど、おそらく僕がマイ箸を使ったとしても、袋に入ったお箸などは捨てられてしまうと思うんです。紙コップも何度も新しいものが出てきますよね。
香庄:そうですね。例えば、同じ紙コップを使ってほしいとフライトアテンダントの方に伝えたことはあるんですか?
潤:はい、あります。ちょうど海士町に来る前、北米に行った帰りのバンクーバーから関空までユナイテッド・エアラインに乗ったのですが、そこで伝えたことがあります。でも、飲み物がほしいというと、即座に新しい紙コップに注がれて出てきてしまうので、前に使った手元の紙コップに入れてくださいというタイミングが、最初はなかなかつかめずにいました。
でもそのフライトは長距離でしたので、何度か同じフライトアテンダントの方が来てくれたこともあって、3回目くらいでようやく今使っている紙コップに注いでほしいと言うことができました。
香庄:で、どうでした?
潤:わかったよ、と言ってくれて手元の紙コップに注いでくれました。
香庄:やってくれたんですね。
潤:はい。その時に彼女は“私も嫌なときがあるんだよ”と話してくれたのですが、彼女はゴミ袋を持って紙コップなどを業務の中で回収するので、きっと僕なんかよりも彼女自身の方がゴミを作っているという意識があるんだろうなって。
香庄:いつからそう思うようになったとかはあるんですか?
潤:そうですね。以前にバンコクに住んでいたことはお話したかと思うのですが、そこでの経験で、何かにつけて食べ物をテイクアウトするため容器やビニール袋の消費量の多さを感じたり、渋滞がすごくて歩いた方が早いにもかかわらず車で移動するという習慣が変わらなかったり・・・、そんなことが気になり出した頃からだと思います。「自然にやさしい」というテーマが自分にとって大事だと思うようになったきっかけもここからでした。
香庄:そうだったんですね。
潤:はい。でも、そこで僕であれば住む環境であったり、自分の生活の仕方などを変えるために行動ができましたが、もし、先ほどのフライトアテンダントの方であれば、その仕事を辞めるという決断をしなければ変えることができないと思っているでしょうね。もちろん、子育てのことなど生活のことを考えると、当然仕事を辞めるという意思決定はできませんし、そんなことを抱えつつ仕事をしている人は一定数いるんだろうなって。
香庄:そうですね。普通の人は潤さんほどの決断はなかなかできないでしょうね。
無自覚に便利さや効率を求めた結果としての今
潤:おそらく昔は機内でも使い捨てではないものでご飯食べたり、飲んだりしていんだと思うんです。でも、洗う手間や、同じ紙コップを使うことで液体が漏れてしまうリスクを考えれば、今のオペレーションの方が便利で効率的ですよね。
こういうことは、生活モデルを探求している海士町にだってあって、例えば、昔であれば豆腐を買いにいくときはボウルなどの容器を持参していたはずが、いつの間にか便利なビニール袋やプラスチックのトレイになり、結果ゴミは出るけれどもゴミは回収してくれるので気にもなりません。
僕は便利さや効率に対して反対主義ではないけれども、やっぱり無自覚にそれらを求めてきてしまった結果かなあと思ってしまいます。便利さや楽も、どこまでいけば無駄なエネルギーを使っていることになるのだろうと思うことがあって、僕としては、楽って 8割は無駄なことで、2割くらいが無駄ではない楽なんじゃないかなって(笑)
香庄:昨今、環境についての意識が少しずつ変わりつつも、まだまだ自覚が足りないことは間違いないですね。
潤:そうですね。今回の飛行機での葛藤のように、場所はどこであっても、こうして自分の中に生まれた葛藤に向き合いながら突き進んでいくことが、生活モデルの探求なんだろうなと思いました。人にも他人にも自然にもやさしいというこの3つが成り立つ姿が、きっとこの先にあるのだろうなあって。
なので日常生活の中でやろうとしていることだけではなく、それは今回のような非日常の中であっても、どういう姿がありえるのかなっていうことを考えて続けていきたいし、ちゃんと問題意識をもって、よりよい方向へ変えていくっていう意思を表現していきたいです。
相手の長期的な幸せが自分の行動の原動力に
香庄:海士町の外でこのような経験が、潤さんが取り組んでいる生活モデルの探求に繋がっていくことってありそうですか?
潤:ううん・・・、難しいですね。というのも、2つがすごく違ったものに見えるというか・・・。
例えば、海士町などの身近な生活圏であれば、僕がある方の農園に手伝いに行き、その方が自分では食べきれない野菜をもらってくれば無駄なゴミが出ずに済みますよね。これは、僕がこの農家さんを知っていて、なおかつ野菜が余るかもしれないという可能性を知っているので、そこに行けばこうなるかもしれないという道筋が想像できるんです。
しかし、自分との関係性がない他の場所であれば、先ほどのような使い捨てカップにコーヒーを入れて渡すというような、すでに決められたサービスや仕組みに対して、こういう場合にはこうするといった様々なケースに対しての準備(この場合だったらマイカップを持参しているかとか)をしていかないと変わらないので、やり方をかなり考えないといけません。ましてや、準備が必要かどうかということではなく、仕組み自体を変えようとするのであればさらにハードルは高くなります。
香庄:既存のオペレーションを変更してもらって、マイカップに入れてくださいというのはかなり勇気がいりますね。
潤:僕も昔はなかなか言い出せませんでした。いつもやっている・何も考えなくてもできるオペレーションではなく、いつもとは違う・考えなければならないオペレーションを強いているわけですから・・・。
でも現在は、相手の長期的な幸せに繋がっているという姿がクリアになれば、周りからどう思われるかよりも、こういう風にできませんかねという問いかけができるようになったんです。
香庄:いや~、すごいですね。というのも、言葉で言うほど簡単ではないと思ったので。
潤:自分の幸せをイメージしたときに、“自分だけがよければいい”という考え方では自分の幸せには繋がらないなという想いがあるので、自分がいいと感じることは、他の誰かにとっても長期的に見れば意義があるのではないかなって。
なので、例えば先ほどのマイカップに入れてくださいと伝えるというようなことが、以前よりもあまり躊躇なく1歩踏み出せることが多くなっているんだろうなと思ってます。
それは僕が今取り組んでいる生活モデルの探求の場合でも同じことで、このようなメンタリティでいる限り、間接的に他の人への事例づくりに貢献できるのではと考えていますし、思った以上に共感してくれる人もいるのではないかなという予感もしています。
香庄:相手の長期的な幸せへの貢献が、潤さんの幸せにとってとても大切なことなんですね。